先駆者とは、《ある事業を人に先立って行う人》のことだが、これにピッタリの人物がコメ業界にいる。和歌山県に本社を置く東洋ライスの雜賀慶二社長(79)だ。

 理由は、コメ業界で長年、氷の天ぷらをつくるより難しいといわれていた「無石米」と「無洗米」の両方を、世に送り出すことに成功したからだ。いったいどうやって雜賀社長は"永遠の夢"を叶えたのだろうか……。

 雜賀家は戦国時代に鉄砲隊で名をはせた「雜賀衆」の末裔で、先代(父親)は精米機の修理販売業を営んでいた。中学卒業と同時に家業を手伝い始めた雜賀社長は、もともと探求心が旺盛で手先が器用なこともあって、どんな精米機も直せないものはないほど腕を上げていった。

 そんな雜賀社長が26歳のとき、第1の夢(無石米)を叶える「石抜き撰穀機」を開発したのだ。

 「今でこそ、ご飯を炊いても石がないのは当たり前のことですが、昔は石が入っているのが当たり前でした。石抜き機はありましたが、コメ粒と同じ大きさの石粒を取り除くことはできませんでした。食事中に『ガリッ』と石をかむ人が絶えないため、取引先の大手メーカーに『完全に小石を取り除くことができる機械を開発してもらえませんか』とお願いしたところ、ムリだといわれました。そこで自ら撰穀機の開発に取りかかったのです」と雜賀社長は当時を振り返る。

 ところが、驚いたことに大手メーカーがムリだといった機械を、雜賀社長は1年ほどでつくってしまったのだ。どうやって開発したのだろうか。

 「簡単にいえば、図表1(『戦略経営者』2014年1月号P13)のように傾斜を持たせた撰穀板を斜め方向(A)に揺さぶり、下から風を送ると、比重が軽く摩擦係数の小さいコメはふわっと浮いた感じで右下に滑り落ちていく一方、石はコメの下側に沈みこむ形で左上に上がっていきます」

 これが1960年に世界で初めて開発された「石抜き撰穀機」である。翌年に精米機ディーラーなどを通じて販売されると、飛ぶように売れた。米穀店の必須アイテムとなり、今なお売れ続けているというからすごい。裏を返せば、それだけ消費者は石の入っていないコメ(無石米)を求めていたということであり、同時にそれは業界の常識に疑問を持ち、顧客本位の姿勢でものづくりに当たれば先駆者になれることを物語っている。

黄土色の海を見たのが"動機"

 さて、第2の夢(無洗米)は何がきっかけで開発されることになったのか。一言でいえば黄土色に汚染された海を見たことだった。

 「1976年に妻と20年ぶりに淡路島へ行きました。かつて船上から見たときの海(紀淡海峡)はきれいで透き通っていたのですが、20年ぶりに見ると黄土色に一変していました。原因はいろいろ考えられますが、その一つに生活排水による汚染があると思いました。なかでもコメのとぎ汁による影響が大きいとみて、家庭でとがなくてもよいものを開発しようと考えたのです。それが自分の使命だと思いました」

 精白米は図表2(『戦略経営者』2014年1月号P14)のように玄米から胚芽とヌカを取り除いたものだが、表面にはまだ粘着性の肌ヌカが残っている。この肌ヌカがついたままで炊くとヌカ臭くなるためとぎ洗いを行うわけだ。無洗米とはこの肌ヌカを取り除いたものをいうが、その方法として雜賀社長が最初に考えたのは「水洗い式」(1978年)であった。

 「水を吸ったコメを乾かすとコメ粒にヒビが入り、その状態で炊くとノリみたいになります。これでは、ご飯とは呼べません。そこで考えたのが瞬間的に洗って瞬間的に乾かすという水洗い式です。これならヒビが入らず、おいしく炊くことができます。

 しかし、工場で無洗米にする際瞬間的とはいえ、大量のとぎ汁が出ます。当初、それを浄化装置で処理すればよいと考えていたのですが、専門業者に相談すると、有機物はバクテリアで分解処理できるけれど、とぎ汁の中に含まれるリンは除去できないと言われました。リンが海に流出すると赤潮などの原因になることから、これが処理できなければやる意味がないわけです。で、どうしたかといえば特許(水洗い式)は申請しましたが、無洗米そのものは市場に出さないことにしたのです」

 要するに苦労して水洗い式を考案したものの、お蔵入りさせ、改めて無洗米の開発に取り組みだしたということだ。それは、コメはとぐものという常識を覆し、まったくとがずに肌ヌカを取る方法を考えたということ。その方法はひょんなことから発見された。

 「水を使わずに肌ヌカを取るには粘着性のものをくっつけてはがせばよいと考え、水あめとかガムテープなどで試みました。そんなとき、昔、ズボンにチューインガムがくっついたことがあり、その際《服についたガムは同じ種類のガムをくっつけると、きれいにはがれる》ということを聞き、その通り行うとうまくいったことを思い出しました。であれば、粘着性の肌ヌカで、肌ヌカをくっつければはがれるはずだと思い、実際にやってみると、きれいに肌ヌカを取ることができました」

 肌ヌカで肌ヌカを取るという、奇想天外な方法を考案したわけだが、同時にその方法で無洗米にする機械(BG無洗米機/Bran=ヌカ、Grind=削る)も独力で開発した。「図表3(『戦略経営者』2014年1月号P14)のように、機械(円筒状の中)にコメを投入するとツメ(小突起)で攪拌され、肌ヌカはステンレス壁に付着します。この付着した肌ヌカに、他のコメ粒の肌ヌカを次々とぶつけていくと、壁面に肌ヌカが付着します。それを反対側のツメ(大突起)でそぎ落とします。これを高速回転で行って、最後に無洗米とそぎ落とされた肌ヌカを仕分けます」と雜賀社長は話す。

 これが完成したのが1991年のことだった。黄土色の海を見て開発に着手してから15年を費やしている。ところが、BG無洗米の販売を始めた矢先に思いもよらないことが起こったのだ。同業他社が水洗い式による無洗米を売り出したのである。

 「それが当社の水洗い式とまったく同レベルだったらよい(おいしく炊ける)のですが、違っていました。まずかったんです。それで無洗米はまずいという評判が立ってしまい、BG無洗米を販売するのに大変苦労しました」

 ではどうやってその誤解を解きBG無洗米を世の中に普及させていったのか──。一つは東京都内のある生活協同組合にアプローチして試食会を開催したこと。口コミで《BG無洗米は他の無洗米と違って、おいしい》という評判を広めていったのだ。

 第2は地域ごとにコメ卸会社などと同社が共同でBG無洗米を生産する会社(現在約10社)を設立し、そこから全国の米穀店に提供したこと。第3は外食企業等にBG無洗米機をリースして"陣営"を強化していったことだ。こうした拡販策を展開したことでBG無洗米の出荷量は年々増えていき、今や年間46万5,000トンにのぼり、無洗米市場の7割強のシェアを占めている。

国内外で注目浴びる「金芽米」

 さらにもう一つ、雜賀社長がパイオニア精神を発揮して手がけたモノがある。それは玄米、胚芽米、白米に次ぐ第4のコメといわれる「金芽米」を開発したことだ。

 金芽米とは、口当たりが白米と同じくらいよいうえに、白米よりうまみと甘味があり、栄養価が高いコメのこと。その理由は、従来の精米法では白米にする工程で削り取られてしまう「亜糊粉層」と「金芽」(胚芽の基底部)が残されている点にある。逆にいえば、亜糊粉層と金芽を残すことができる精米法を独自に編み出したということである。

 なぜ雜賀社長は金芽米を開発しようと考えたのだろうか。

 「玄米からヌカを取ったものが白米ですが、米偏に白と書くとカス(粕)になります。ということは玄米の一番よい部分のヌカを取って、われわれはカスを食べているということです。そこで白米のようにおいしく食べられ、なおかつ健康にもいいコメは創れないだろうかと長年、考え続けました。その結果、ヌカの裏側に亜糊粉層があることがわかりました。昔から『皮と実の間にいいものがある』といわれますが、体にいいのはヌカではなく、この亜糊紛層であることを、後年、科学的にもつきとめています。しかし、ヌカと亜糊粉層は表裏一体のため、通常の精米法ではヌカを削るときに亜糊粉層も一緒に取られてしまいます。そこで玄米の表面から少しずつヌカを取り除きつつ、亜糊粉層と金芽を残して精米する"均圧精米法"を考案しました。この方法で精米されたコメをBG無洗米機にかけて、金芽米に仕上げるという仕組みです」

 これが出来上がったのが2005年で、翌年からコメ卸会社などを通じて本格販売に乗り出した。

 金芽米の特徴は、第一に「均圧精米法+BG無洗米機」によってつくられるため、「コシヒカリ」や「あきたこまち」など、どの品種も金芽米にして付加価値を高めることができること。第二に白米に比べてビタミンB1・Eが約2倍、腸内環境を整えるマルトース(麦芽糖)が約60倍、オリゴ糖が約12倍も含まれていることだ。

 当初はトリノ冬季五輪金メダリストの荒川静香さんをCMに起用していたこともあって、生産が追いつかないほど売れたが、やがて伸び悩んだ。なぜか。消費者が普通の白米と同じ水量で炊いていたからだ。この炊き方では、金芽米はおいしくないのだ。

 「亜糊粉層は水を吸うと、ものすごく膨張するため通常より水を多くして炊く必要があります。そのことは袋の裏に表示していましたが、みなさん気づかずに、いつもの(普通の白米の)水量で炊いていたわけです。そこで発想を逆にして、水を多くするのではなく、コメの量を少なめにして炊けばよいと考えました。具体的には通常の計量カップに比べると、91%しか入らない(9%少なめ)金芽米専用カップを開発して、2012年から提供・開始しました。すると、この作戦がズバリ当たり、再び売れ始めたのです」

 このように業界の常識にとらわれず、強い使命感を持ち、あきらめずに開発し続けることが"雜賀流ものづくり哲学"である。79歳になった今も現役バリバリだが、「今後は金芽米を海外にも普及していきたい」(雜賀社長)と新たな挑戦に意欲を燃やしている。

(本誌・岩崎敏夫)

会社概要
名称 東洋ライス
設立 1961年11月
所在地 和歌山県和歌山市黒田12
TEL 073-471-3011
社員数 170名
URL http://www.toyo-rice.jp/

掲載:『戦略経営者』2014年1月号