少子化という逆風をもろに受けながらも果敢に新分野に挑み、成長路線を歩み続ける学生服トップのトンボ。135年の長い歴史はすさまじい変化と革新の連続だったが、とくにここ20~30年のクリエーティブな展開は出色である。就任11年目を迎える落司量則社長(64)に話を聞いた。

プロフィール
おとし・かずのり●1947(昭和22)年、鹿児島県生まれ。鹿児島大学卒業後、トンボの前身、帝国興業に入社。2001(平成13)年、代表取締役社長に就任。趣味はゴルフ。
株式会社トンボ 落司量則社長

落司量則 氏

――1876(明治9)年創業で、今年で135年目、また、学生服を手がけはじめてから数えても80年を超えるとても長い歴史をお持ちです。

落司 創業からしばらくは「三宅商店」という名前で足袋の製造販売を行っていたようですが、洋装の時代が来るということで1930(昭和5)年から学生服をつくりはじめました。当時の主力製品は男子のいわゆる“黒の詰め襟”で女子のセーラー服やイートン服はほとんど手がけておらず、そのせいか業界でもトップに引き離された2、3番手という雌伏の時代が長らく続きました。

――急成長を遂げられたのは?

落司 ちょうどバブル経済の頃でした。1980年代後半から1990年代にかけては、第2次ベビーブーマーである団塊ジュニアが高校に入学し、全国に新設校が濫立した時代でした。なにしろ一学年で現在の倍近く、200万人以上の生徒数がいましたからね。ご承知の通り、当時、企業ではCI(コーポレート・アイデンティティー)の導入がブームになっていました。当社もご多分に漏れずCIを導入しつつ、さらにそれをもじってSI(スクール・アイデンティティー)という造語をつくり、“校風や校訓を制服に反映しましょう”といった提案活動をスタートしました。これが個性の主張が叫ばれるようになった時代の雰囲気にピタリと合ったのでしょう。ほどなくいわゆる「学生服」から「学校制服」へと学校関係者の志向の変化が起こったわけです。

学校の存在感を表現する

――そういえば、昔の学生服はどこの学校も代わり映えがしませんでした。ようするに、この時代に制服も個性的かつおしゃれになっていったと……。

落司 そうです。大都市圏を中心に詰め襟やセーラー服からブレザーやスーツに替わっていきました。あるいはスクールカラーを制服に反映するといった今では当たり前の工夫もこの頃からです。学校のアイデンティティー(存在感)を主張していこうという取り組みですね。われわれが、このような流れを自発的につくり出した張本人だと自負しています。ちなみに、SIは当社がつくった言葉ですが、その後業界用語として完全に定着しました。

――生産・物流体制はどうされたのですか。

落司 学校ごとの別注が増えてきますから、当然、従来の少品種大量生産の仕組みでは対応できません。組織的見直しや自前のデータセンターによる最適な情報管理システムを整備するなどしながら「多品種・小ロット」、そして「短納期」を実践する生産・物流体制をいち早く構築しました。それから、これも当社がつくった言葉で今は業界用語になっているのですが、「スクランブル対応」を標榜し、入学者数が突然増えたりサイズが違ったりした時の追加の注文に数日程度ですばやく納品する仕組みもつくりました。それらのバックヤードの充実が、他社との差別化の大きな要因のひとつだったと思います。

――結果、シェアの飛躍的アップを勝ち取られました。

落司 いままでになかった市場の変化ですからね。対応に苦労したメーカーもあったでしょう。当社はとくに東京など大都市圏で、あまたのライバルを向こうに回して支持を拡大していきました。岡山県が拠点の会社にもかかわらず、正確かつ迅速な納期対応が可能だということで、学校の直接の取引先である百貨店や専門店などからも「今度の○○高校のモデルチェンジはトンボさんに提案して欲しい」という要請が目に見えて増えてきたのです。

優れた提案力が決め手

――モデルチェンジというと、学校制服のデザインの変更のことですか。

落司 はい。たとえば、ここ10年で見ても、学校制服のモデルチェンジは平均で年間約300校くらいあります。当社はそのなかの常に3割くらいを受注し続けており、トップをとれなかったのは1回だけ。いずれにせよ、学校制服は圧倒的に“別注”の時代に入っているということです。なので、別注に対応する緻密さや柔軟性が必要になってくる。そこに秀でているのが当社の強みなのです。

――若い人相手ですからデザイン性もポイントですね。

落司 もちろんです。当社がSIを提唱した直後くらいから、まず、“デザイナー制服”の時代が来ました。ヒロミチナカノやカンサイ・ヤマモトといった有名デザイナーズブランドを採用して好評を得ました。近年では、ストリート系が人気で、当社ではコムサ・デ・モード、オリーブ・デ・オリーブが中心です。最近は、流行に敏感な生徒の意見を取り入れて制服を決定する学校も増えていますから、常にリサーチを欠かさず、流行の流れに乗り遅れない努力が必要になってきます。オープンスクールで中学生を呼び、人気投票をさせて制服デザインを決める学校もあるほどですからね。

――われわれの学生時代とは隔世の感があります。

落司 とはいえ、必ずしも有名ブランドを使えばそれで良しということでもありません。たとえば、ある高校でのコンペでのことですが、当社の競合メーカーが有名ブランド制服を提案しましたが1次審査で落ちてしまいました。理由は「我が校は学校自体がすでにブランドなので制服に有名ブランドはいらない」とのこと。結果的に当社の自前ブランド製品が採用されたわけですが、要は、学校にはそれぞれ校風があり考え方があるということです。

――だとすると、ますます提案力が必要になってきますね。

落司 良い提案をするためには、それ以前に、いかに早く情報をつかむかが重要になってきます。これは、営業マンの日頃の活動にかかってくる。学校はどういう制服を望んでいるかを正確に把握し、いかに的を射たプレゼンができるのかが受注へのポイントなのです。当社の営業マンには、この部分を強く意識して動くよう指導しています。

選択と集中で成長を持続

――さて、少子化による需要減は学校制服業界の宿命です。どのような対策を?

落司 この10年間で生徒数はなんと30%減少し、同業者も随分倒れました。そんな強烈な逆風のなかでも当社は自助努力を重ね、シェアを増やすことによって売り上げを伸ばしてきました。さらに今後10年で、生徒数は19%減ると当社では見ていますが、これまでのままの体制でうまくいくとは思っていません。で、3年前から取り組んでいるのが「選択と集中」戦略です。

――具体的には。

落司 従来は学校制服、スポーツウエア(学校体育衣料)、介護(ヘルスケア)ユニフォーム、オフィスユニフォームという4事業を手がけていたのですが、まず、後発でリーマンショック以来売り上げも減少傾向にあったオフィスユニフォームの分野からは完全撤退しました。3年前に市場をリサーチした結果、成長戦略を描けなかったのです。同時に、3事業本部制を導入し、経営資源を集中。従来は学校制服とスポーツウエアを兼任していた販売体制も画然と分けて専任化しました。
 各事業部に共通する基本戦略は“首都圏強化”です。少子化、人口減少社会ですが、首都圏はそれほどでもありませんからね。まず、学校制服事業は、ほぼトップに並んでいる状況ですから、より差をつけたダントツのトップを目指します。また、スポーツウエアは現在シェア7%で4、5番手なので、ヨネックスブランドを核にしながら2番手にまで持って行く。さらに、ヘルスケアは、東京に拠点を半分移して集中してマーケティングを行うようにしました。

――成果は?

落司 すでに出てきています。たとえば、ヘルスケア部門では、介護ウエアだけでなく、メディカルウエア(病院白衣)市場にも参入しました。この市場はダントツのガリバーメーカーが存在しており、どうかなとも思いましたが、あえてチャレンジしました。通常の白衣と違い織物ではなく、スポーツウエアでノウハウのあるニット(ジャージ)を使用しているのでストレッチ性があり、スタイリッシュなデザイン性も加味。さらに、同種類で2サイズ(20~30歳代用と40~50歳代用)用意したことも受けて、予想以上に好評をいただいています。

――白衣で2サイズというのは珍しいのですか。

落司 タブーだと思います。在庫が二重になりますからね。でも、人間は歳をとるにつれて体型も変わってきます。なので、そこに配慮した当社の白衣は、年配の方が多い看護士長さんなどから高い評価をいただけるようになったというわけです。昨年から大型の病院での採用も出始めています。

“挑戦”が道を切り開く

――お話を聞いていると、トンボという企業は、歴史的に常にチャレンジングに道を切り開いてこられたという感じがします。

落司 当社は常に「開発型企業」を目指すことをうたってきましたからね。それと、オーナー経営から離れて40年近くになり、その間、全員経営を貫きながら全社一丸となった行動力を発揮してきました。それが新しいことに挑戦する風土を生み出しているのではないでしょうか。
 それから、風土という意味では、「おたくは金太郎飴やね」と、取引先によく言われたりもします。これはわれわれにとって褒め言葉ですね。担当者がいなくてもほかの誰かが真面目に誠実にカバーする。そんな全員経営体制が、長年生き残ってきた企業としての強さを支えているのだと思います。

――最近ではブランディング活動に精力的に取り組んでおられるようですが……。

落司 以前はスマップなど有名芸能人を使ったり、現在もTVアニメ『名探偵コナン』をイメージキャラクターに採用したりしていますが、基本的には、より本質的で内面的なブランディングに取り組んでいます。

――たとえば?

落司 当社は2006年、創業130周年を期に社名をテイコクからトンボに変更、「(顧客にとって)最良のユニフォームメーカーを目指す」ことを標榜しました。そして、工場、物流拠点新設などの基盤整備を行うとともに社内研修や外部派遣研修をシステム化した「トンボスクール」という教育体系をつくり、さらに、身近なところでは、気持ちよい挨拶、適切な接客など“インナーブランディング”に取り組みました。社員も企業ブランドの重要なファクターであるという考え方です。これを2年間継続した結果、随分変わってきました。訪問客の送り迎えはもちろん、挨拶なども自然にできるようになってきたと思います。さらに、今年からはアウターブランディングに取り組んでいます。

――アウターブランディングとは?

落司 “トンボ品質”をアピールしていくこと。簡単にいうと「商品の品質」「コミュニケーションの質」「環境の配慮」という3つの分野をより向上させていく取り組みです。「ここちよさ、ひとつずつ」をスローガンにしながら、トンボという会社を外部の人たちに高く評価していただける行動を全社を挙げて実践しています。結果として、制服といえばトンボと応えていただけるような「ファーストコールカンパニー」となれればいいですね。

より“強い会社”にしていく

――環境保護活動は随分古くから実践されていますね。

落司 トンボというのは古来、秋津(あきつ)と呼ばれ、日本自体を秋津島とする呼び名もあったほど、日本の自然の象徴でもあります。そんなこともあり、26年前、1986年に高知県四万十市(当時中村市)のトンボ自然公園づくりをサポート。同年には「トンボ絵画コンクール」を協賛しました。このコンクールへの応募数は17万点を超え国内最大規模です。さらに、C・W・ニコルさんが進める長野県黒姫の「アファンの森」の再生活動を支援したり、茨城県霞ヶ浦北浦の自然再生事業にも関わっています。
 より事業に密接していえば、カーボンオフセットによるCO2削減、ウールやポリエステルなど素材のリサイクル、あるいはオーガニックコットン素材の体操服を発売したりもしています。

――株式会社トンボの目指す将来像を教えてください。

落司 繰り返しになりますが、主力3事業に力を集中して、それぞれがナンバーワンを目指すということ。そして会社としてファーストコールカンパニーになること。この目標には着々と近づきつつあると実感しており、近い将来到達することを確信しています。それに加えて、社員満足をより高めていく活動にも取り組んでいきたいですね。ここでもナンバーワンを目指します。

――落司社長個人としてはいかがでしょう。

落司 社長になって今年で11年目を迎えましたが、当初から私が考えてきたのは「強い会社」をつくることでした。売り上げや利益ももちろん大事ですが、とくに財務体質を強化しようと、在庫管理や資金回収面、負債の圧縮など計数的な改善を進めてきました。結果、就任当初は35%程度だった自己資本比率は前期末で52%まで上昇しています。今後も、積極的なチャレンジ精神でナンバーワンを目指しながらも、一方では決して浮つかずに土台を見つめつつ舵を取っていきたいと考えています。

(取材協力・岡山税務会計総合研究所/本誌・高根文隆)

会社概要
名称 株式会社トンボ
所在地 岡山県岡山市北区厚生町2-2-9
売上高 約236億円(グループ)
社員数 700名
URL http://www.tombow.gr.jp/

掲載:『戦略経営者』2011年12月号