石川佳洋社長
3月11日――宮城プラントサービスの石川佳洋社長(42歳)は地震に見舞われたとき、会社内にいた。
全社員に退避指示を出した後、車ですぐ近くの自宅に3時半ごろに戻った。隣が創業者である両親の住む家で、海岸から約800メートル離れている。「大津波警報が出されていましたが、ここまでくるのかなと……。石巻市が2年くらい前に策定したハザードマップによれば、ここの松並地区には津波はこないという想定になっていたのですが、数十メートル先を見ると、真っ黒い壁のようなものが見えたので、これはとてつもないものが襲ってきたと思いました。そこで、妻と長男と一緒に2階のベランダに逃げました。水位がどんどん上がってきて、『とんでもないことになってきたな』と思っていた矢先に長男が下に降りて行ったみたいで、いないのです。最終的には1階の天井裏まで浸水し、水が引いた後、長男を台所で見つけました。懸命に人工呼吸を行いましたが、息は吹き返さなかった。隣に住む両親も『2階にいてくれればよいが……』と念じながら、ライトを照らしたり大声で呼びかけたりして合図を送ったのですが、何の返事もなかったので『逃げるに逃げられなかったのだろう』と思いました」(石川社長)という。
この震災で、石川社長夫妻は両親と長男という大切な家族を失ってしまったのである。その後も、水没した街のなかで、学校に取り残された次男を連れ戻しに行ったり、社員の様子をうかがったりという日が数日間続いたが、震災の日からずっと手放さなかったのは、父である石川茂男会長から手渡された「防災ラジオ」だった。
昨年4月に創業30周年を迎えた宮城プラントサービスでは、多くの取引先や従業員への感謝の気持ちを込めて今年2月に「家族会」を開催した。そこでは創業当時から会社を支えてくれた役員・社員に対し、感謝状と記念品を贈り、また、創業からこれまでの道のりを後継世代に伝えようとビデオを披露したりする場面もあった。会社が今日あるのは家族あってのこととの意味から“取引先や従業員の家族にねぎらいの気持ちを込めて”催されたのだった。
「毎年このような会を開催しているのですが、今回は30周年ということもあり、特に出席していただいた方々に何か記念の品を贈ったらどうかと考え、何がよいかを会長と私で検討していました。3月11日の午前中、会長が選んだ品を会社に持ってきました。それが防災ラジオだったのです」という。石川社長は震災で通信手段が途絶え、まったく情報が得られなかったとき、そのラジオを頼りに、この状況を乗り越えてきたのである。
同社は創業者である石川会長が社長だった時代から、人材育成に多くの経営資源を投入してきた。それは現場の技術だけにとどまらず、経営面に対しても同じであり、全社員が経営者と同じ方向に向かって業務に取り組む体制ができていた。石川会長は宮城県倫理法人会会長、石巻商工会議所副会頭、石巻法人会副会長など、多くの要職を歴任し、地元経済のけん引役として、宮城県そして石巻圏域を支え続けてきた経営者だった。
その会長から石川社長が経営をバトンタッチされたのは今から3年ほど前のことだが、「今思えば3年間、社長の経験をさせてもらったことで、このピンチを切り抜けることができたのでは」と話す。これまで淡々と地道に人材育成に取り組んできた宮城プラントサービスの組織力、そして経営者としての姿勢を、会長から社長に確実に継承してきたことが、甚大な被害を受けながらも会社として乗り越えることができた大きな要因なのである。
さて、両親である会長夫妻と長男を会長の出身地である山形県鶴岡市で荼毘に付した翌日の3月24日、石川社長は全社員を本社に集めて「事業再開」を告げた。とはいえ、会社も津波で大打撃を受け、電気も電話も使えない、水道もストップ、クルマもほとんど流され、工具類もないというような状況下での再開だった。
そんななか、「長年取引をさせていただいている会社の社長が当社の惨状を知って、『宮城プラントは石巻の水産業界の復旧・復興になくてはならない会社だ』と言ってくださって、その方の知人が門脇(石巻市)にある大きな倉庫を仮事務所として紹介してくれたのです」という。さらに仕入先やメーカーから、工具や燃料などの支援物資が仮事務所に続々と送られてきたのだ。「このときほど人の温かみやありがたさを感じたことはありません」と石川社長は話す。
水産加工施設の復旧が始まる
その宮城プラントサービスが主力業務にしているのは、漁船用や水産加工関連の冷却設備や空調設備工事などであり、ここ数年の年商は9億円前後で推移している。
「一口に冷却設備といっても、いろんな受注パターンがあります。業務用の冷蔵庫をお客様の工場内にセッティングする場合もあれば、建物ごと冷蔵庫にしてしまう場合もあります。その温度管理も取り扱っているモノの形態によって違います。例えば鮮魚の場合はマイナス5度、凍結した魚を扱っている場合はマイナス25度など、さまざまです。つまり、お客様の業態に合った冷却設備の工事を請け負っていくというスタイルです。また、お客様のメンテナンス面を考えますと、何か設備にトラブルがあった場合、それが機械の故障なのか、電気系統の故障なのかを1社でサポートすることができれば、非常に効率的です。当社では“電気部”を設け、冷却設備全体をフォローする体制となっています。このような体制をとっている会社は地元でもあまりなく、他社との差別化につながっているのではないかと思います」(石川社長)という。
そうしたなかで、再開後、最初にオーダーをもらったのが蒲鉾メーカーからだった。具体的には冷却設備や空調設備などを整備して蒲鉾の生産再開を果たすというものだが、それはとりもなおさず、石巻の地場産業の復旧・復興に、同社が側面からサポートしているということにほかならない。しかも、この種の注文が5月の連休明けから一気に押し寄せてきているのだ。
「例えば『私(取引先)も頑張るから、何とか6月までに工場を稼働できるようにしてもらえないか』といったような注文が急増しています。従来から取引のあるお客様の依頼なので、社員には『申し込まれた仕事は全部受けなさい』と言っています。今、こういう震災があったにもかかわらず、お客様から仕事をいただけるというのは、創業者である父の時代から31年間にわたり培ってきた技術力が評価されているからだと思います。だから仕事を断れば、父が築いたお客様との関係も断ち切ってしまうような気がして、私も社員も、みな同じ気持ちで仕事を行っています。父には長年にわたって築き上げてきた信頼と技術力・人材に対して感謝して、日々の報告をしています」(石川社長)という。
実際、比較的大規模な新設工事の受注が4~6月で14件にのぼっている。それだけ石巻の復旧が早まってきているということだろう。
ところで、同社にとって営業や現場部門が攻めの部隊なら、守りの部隊が「経理」(管理)ということになる。この部分に関しては「以前から平塚善司税理士事務所の指導を受けており、ようやく通常の巡回監査を受けることができる体制となりました。この大震災による津波で、当社のインフラは壊滅的なダメージを受けました。企業の復興という課題は長きにわたって携わらなければならないものと考えています。
この状況下にあってどのように舵をとるかは常に慎重に判断していかなければならないでしょう。また、当社は企業としてだけではなく、役員・社員一人ひとりが連帯意識をさらに高めて、復旧・復興に携わる企業であり続けたいと思っています」(石川社長)と話している。
(取材協力・平塚善司税理士事務所/本誌・岩崎敏夫)
名称 | 株式会社宮城プラントサービス |
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所在地 | (仮)宮城県石巻市門脇字元浦屋敷32-8 |
TEL | 0225-21-5288 |
売上高 | 約9億円 |
社員数 | 31名 |