「クラウドソーシング」とは、インターネットを通じて、個人が継続的に仕事を得ていく仕組みである。そのクラウドソーシングの国内大手2社の1つに数えられているのが、吉田浩一郎社長(42)が2011年に創業したクラウドワークスだ。吉田社長がクラウドソーシングについていち早く知り得たのは、ベトナム事業の投資の失敗と、信頼していた部下の裏切りがきっかけだった……。

プロフィール
よしだ・こういちろう●1974年生まれ。東京学芸大学卒業後、パイオニア、リードエグジビションジャパンを経て、ドリコムの執行役員として東証マザーズ上場を経験した後、独立。多様で柔軟な働き方を実現する「クラウドソーシング」に注目し、2011年11月にクラウドワークスを創業。
吉田浩一郎氏

吉田浩一郎 氏

 大学時代は、劇団活動にのめり込んでいました。将来は役者もしくは演劇で食べていきたいと考えるほどでした。しかしある公演を計画していたときに契約とお金のことで手痛い失敗をしたことから、まずは社会人として勉強する必要があると思うようになり、大手電機メーカーのパイオニアに就職しました。周囲の人に「自分は何に向いているか」と聞いてみると、「営業に向いている」とよく言われていたため、営業の仕事ができる会社を選んだのです。実際、入社2年目で関東地区1位の営業成績をあげるなど、営業の仕事は自分に向いていました。

 その実績をもって転職したのが、展示会の企画運営をするリードエグジビションジャパンでした。パイオニアのときのようなルート営業ではなく、いろいろな人に出会える新規営業をやりたかったからです。その会社で事業企画・立ち上げにも携わらせてもらううちに少しずつ「起業」への興味が芽生えてきました。

ベトナムでのアパレル事業

 でも会社を作るためには何をどうすればよいのかわからない。そこで、大前研一さんの起業家養成塾「アタッカー・ビジネススクール」に入ることにしました。元ライブドアの堀江貴文さんやガンホーの孫泰蔵さんなどのIT企業経営者と交流する機会をもち、インターネットビジネスへの関心が高まりました。

 しかしまだ自分が社長として働く姿が想像できない。営業のトップとして働けばもっと自信が湧くのではないかと考えて、モバイル向けコンテンツの企画開発などをするドリコムに入社することにしました。

 ドリコムでは執行役員として東証マザーズ上場を経験した。だが、ドリコムは上場後すぐにカベにぶち当たった。赤字決算、事業計画の下方修正、新卒内定の取り消しによる社会的な批判……。自分が社長だったらどのようなかじ取りをしていただろうかという気持ちが強まるなかで、吉田社長は2007年末にドリコムを退社し、翌年自分の会社を立ち上げる。

 とりあえず社長になってみたものの、自分はプログラミングができるわけではないし、何かモノを作れるわけでもない。中途半端な気持ちのまま、上海でのワインビジネス、フランスから輸入した雑貨の販売、東南アジアでのマンガコンテンツ事業……20事業くらいをいろいろ試していくなかで、何とか前に進めたのがベトナムでのアパレル事業でした。日本のアパレル会社の在庫を買い取り、ベトナムで販売するというビジネスです。テストマーケティングをしたところ2日間で2500枚くらいの洋服が売れ、「こんなに売れるのならいけそうだ」と判断し、ベトナム人の仲間と一緒に現地にお店を出しました。

 ベトナムの事業の原資になったのは、日本で受託したホームページ制作、システム開発、株式上場のコンサルなどの仕事で稼いだお金でした。それをベトナムの事業に投資していったのですが、気づけば1億円近い赤字になっていました。結局、商売がうまくいかなかったのです。

 商品はお金を出せば簡単に仕入れられますが、ふつうに売れるのはそのうちの何割かで、あとは適切なタイミングで値下げ販売したり、現地で在庫処分をして現金化していく必要がある。そのサイクルを作るのが大切となるわけですが、アパレル業界で働いた経験のない私にはその辺りのことがよくわからず、現金化されない商品がどんどんたまっていく状態になりました。それでも、新しい洋服を仕入れなければ商売を続けることができない。結果、赤字が膨らんでいったのです。

信頼していた部下の裏切り

 そんな折、吉田社長は信頼していた取締役の裏切りにあう。突然、日本の主要な得意先すべてを奪い取っていく形で独立されてしまったのだ。

 メールの履歴などから調べてみると半年前から用意周到に準備を進めていたことがわかりました。私には「ベトナムの事業を頑張ってください。日本のクライアントは任せてください」と言っておきながら、その裏で得意先に対して引きはがしの工作を続けていたのです。自分は半年間ずっと騙(だま)されていたんだなと思うと本当にショックでした。恨まずにはいられませんでしたね。彼の「気づかなかったんですか」という笑い声で夜中に目が覚め、朝まで眠れない日々が1カ月間くらい続きました。

 さらに追い打ちをかけるように、赤字続きだったベトナム事業の担当役員も「疲れた」と言って出て行ってしまった。「取締役」の肩書があるのは、もう自分ひとり。そんな状況に置かれた2010年の年末、オフィスにしていたマンションの一室でなんとも言えない孤独感を抱きながら一人ぼっちでいると、ピンポーンとチャイムが鳴って、宅配便でお歳暮が届いたんです。むかし取引のあった上場企業からのお歳暮だったのですが、これがめちゃくちゃ嬉(うれ)しかった。

 このとき、自分の人生で一番大切なのは、ビジネスを通じて人の役に立ち、「ありがとう」と感謝してもらえることではないかと思いました。振り返るとこれまで、「社長になってみたい」「お金もうけをしたい」といった具合に、名誉やお金を第一に追い求めているところが確かにあった。でも結局、そういうモチベーションで仕事をしていると、それが人に伝わるんですね。自分自身が濁っていたから腹心の部下に裏切られるような目に遭うのだと、自然と受け入れられるようになりました。

 これを機に、吉田社長は少しずつ前向きな気持ちを取り戻していく。自分が人の役に立てる仕事とは何だろうか。そう考えるなかで気づいたのが、「BtoB×インターネット」の事業だった。

 自分のキャリアを棚卸ししていくと、新卒のときから10年以上関わっていた「法人向け営業」と、ドリコムで働いたときの知見を生かせる「インターネットビジネス」の2つが思い浮かびました。つまり「BtoB×インターネット」の事業こそが、自分に適した仕事だと気づいたのです。

 そこから投資家回りをはじめました。日本での受託業務では利益を出していたことから、会社には約3000万円の現金が残っており、これだけは一つの成果といえます。「事業は立ち上がりませんでした。人も逃げていきました。でも3000万円の現金は手元にあります。私が新たに始めるべきBtoB×インターネットの仕事はないでしょうか。その領域なら私はとことんできるので、投資してもらえませんか」。そんなふうに言って、投資家に頭を下げ続けました。すると、ある人が「BtoB×インターネットの世界でいま革新が起きているのは『クラウドソーシング』だ」と教えてくれたんです。

サービス開始後すぐに急成長

 クラウドソーシングがいかなるものか調べてみると、要するに個人でもできる小さな仕事を発注したい企業と、そうした仕事を継続的に得ていきたい働き手をインターネットでマッチングするサービスだとわかりました。これなら過去にさんざんやってきた受託のビジネスに近い。どこにマッチングを成功させるポイントがあり、どこが不満の要素になるかが手に取るようにわかる。クラウドソーシングのビジネスなら私はどこまでも人の役に立てると思い、自分が持っている資金・人材をすべて突っ込んで、2011年にクラウドワークスを創設しました。

 すると驚くほどに周囲の人たちが味方になってくれるようになりました。エンジニア向けの派遣・転職支援を手がけるパソナテックの森本宏一さん(現会長)もその1人。新事業をはじめてすぐの頃に「飲みに行こう」と唐突に連絡をくれ、2人で飲みに行くと、「ドリコムの頃からあなたを知っているが、1回目の起業のときはなんか稼げそうなビジネスにうまく乗っかろうみたいな感じがした。しかし今回の起業は、遠くから見ていても社会のために役立とうとする本気度合いが伝わってくる。だから、今回は応援したくなった」というようなことを言われました。これには大いに励まされましたね。

 クラウドワークスが提供するのは、仕事を発注したい企業側と、プログラミング、デザイン、写真撮影、ライティングなどのスキルをもつ働き手(ワーカー)側とを橋渡しするオンライン上のプラットホーム。マッチングから報酬の支払いまで、インターネットで簡単におこなえる。ワーカーは登録しておけば、いつでも自分に合った仕事を検索できる。

 会員登録してくれたワーカーには、会社に通勤して働くスタイルよりも、もっと自由な働き方をしたいと考える人や、育児などの事情から会社をやめざるを得なかった人などがいます。多様で柔軟な働き方を提案できたという点において、われわれのクラウドソーシング事業は人々のお役に立っていると思っています。もちろん発注元の企業のほうにも、1人の正社員を雇うほどのボリュームではない小さな仕事を気軽に外注できるメリットがあります。

 2012年3月にサービスを開始してから短期間で急成長できたのは、サイトをオープンする前から、企業と働き手がすぐにマッチングできる状態を作っていたことが一つの要因として挙げられます。エンジニアやデザイナーの方などに直接声を掛けていき、事前に約1300人の登録者を集めておきました。これが奏功し、サイトのオープン直後からいきなりマッチングが盛んに行われるようになり、「なんだこのサイトは」と世間の注目を集めることができました。

シェアリングエコノミーの潮流

 その後もクラウドソーシング市場全体が拡大していく中で、ますます会社は成長を遂げていった。そして2014年12月には東証マザーズに上場を果たす。通常は、上場の際にはセレモニーとして経営陣が東京証券取引所の鐘を鳴らすものだが、クラウドワークスの経営陣は誰も鐘を叩(たた)かなかった。代わりに鐘を鳴らしたのは、クラウドワークスを利用する5人のワーカーだった。ワーカーの存在あってのクラウドワークス。その感謝の気持ちをこうした形で示したのだ。「『働く』を通して人々に笑顔を」──そんなスローガンを掲げる同社らしいエピソードだ。

 株式上場で資金を集められるようになったクラウドワークスの現在の会員登録者数は約115万人。利用企業はトヨタ、ホンダ、パナソニック、ソニーなど約15万社(2016年12月時点)、総契約額約45億円(同9月期)にのぼります。これらの数字はクラウドワークスが現在、業界トップの会社であることを雄弁に物語っています。

 日本最大級と間違いなく言えるところまで成長した私たちが今後も積極的に推進していきたいと考えているのは、「働き方革命」です。スキルを持った個人がいるにもかかわらず、それを活用しきれていない状況は社会的な見地からしてももったいない。昨今、「シェアリングエコノミー」の潮流が世界各地で生まれていますが、余っている物をメルカリに出品しようとか、空き部屋をAirbnb(エアビーアンドビー)で貸し出そうとか、あまり乗っていない車をUBER(ウーバー)で貸し出すといったのと同じように、眠らせているスキルをクラウドワークスで世の中に提供していくという動きをさらに活発化させていきたいものです。その結果として、人々の喜びや感謝を得られたら嬉しいですね。

(本誌・吉田茂司)

沿革
2008年 初めての起業。ベトナムでのアパレル事業を開始する
2010年 信頼していた取締役に裏切られる
2011年 クラウドワークスを創業
2014年 東証マザーズ上場を果たす
2015年 本社事務所を恵比寿ガーデンプレイスに移転
会社概要
名称 株式会社クラウドワークス
設立 2011年11月
所在地 東京都渋谷区恵比寿4-20-3
恵比寿ガーデンプレイスタワー6階
売上高 12億円(2016年9月期)
社員数 134名(2017年1月5日現在)
URL https://crowdworks.jp/

掲載:『戦略経営者』2017年2月号