従業員20人で年商50億円を稼ぐ、高収益体質のものづくり企業が埼玉県にある。超高精度の板金加工で「金型レス」「切削レス」を可能にした井口一世だ。業界の常識を覆し快進撃を続ける同社の実像に迫った。

プロフィール
いぐち・いっせい●1955年9月、東京都生まれ。1978年立教大学経済学部、2009年東京農工大学修士課程修了。プレス加工会社経営を経て、2001年に井口一世を設立。2013年、塑性加工・機械加工の常識を変えた高い技術力が評価され、「Japan Venture Awards 2013」で経済産業大臣賞を受賞。
井口一世 代表取締役社長 井口一世氏

井口一世 氏

──社長ご自身のフルネームが社名です。ユニークですね。

井口 技術力には絶対の自信があったので、「文句があるならかかってこい。逃げも隠れもしない」という堂々とした気持ちを表現するため、自分の名前をそのまま社名にしました。名字を使ったカタカナの社名や「~精工」というようなありきたりなものでは誰の心にも残りませんが、これなら一度会っただけでいつまでも覚えてもらえますからね。

──革新的な技術を持っているとお聞きしています。

井口 当社の業態を一言でいえば特殊な板金屋です。板金加工は、金属を切ったり曲げたりして立体をつくる塑性加工のことをいいますが、当社はこの板金加工の精度がとにかく高い。マシニングセンターや旋盤などの機械で金属の塊を削り出す、いわゆる切削と呼ばれる手法と比較してみましょう。切削では1メートルくらいのものをつくる場合の誤差は10ミクロンほどですが、当社の板金技術はそれと同等、もしくはそれを凌駕する精度で加工することができます。通常の板金屋の加工精度が200~300ミクロンと言われていますから、これがいかに驚異的かが分かると思います。

──これまで切削加工で行っていたものづくりが板金加工でできるということですね。

井口 はい。切削加工では、立方体や円柱の形状をした金属材料を削って形をつくっていくわけですが、平均して6割の材料を削り取って捨ててしまうそうです。その廃棄してしまう部分を考えれば、切削加工をやめて当社の板金加工を利用した場合、材料代の相当な節約になります。また削るという工程は非常に時間がかかりますが、当社の塑性加工技術はその時間も大幅に短縮できる。材料費と時間の節約により、製造コストを2分の1から5分の1程度まで抑制することが可能になるのです。

──コストがそれだけ下がるというのはすごい。

井口 加工方法の転換がもたらされるのは切削加工だけではありません。多額の初期投資が必要だった金型を用いたものづくりの代替もできるようになります。金型の製作費というのはご存知の通り大変かかるもので、コピー機1台分に約30億円の初期投資がかかるそうですが、当社の技術を使えばこれがゼロ。もちろん2,000個を超えるような大量生産品の場合は金型を使ったほうが安く上がりますが、売れるかどうかわからないという段階でのものづくりには非常に適しているといえます。お客さまにとってみれば、新製品の市場での評価が高く、本格的な量産化を決定した時点で金型を製作し、人件費の安い海外生産に踏み切ればよいわけですから。このようにものづくりのコストを劇的に下げられることから、現在では医療関係、航空機、家電、重電などありとあらゆる業界のメーカーとお取引させていただいています。とにかくこの手法はものの作り方がこれまでとは根底から違う。私は本気で第三次産業革命を起こせると考えています。

──画期的な手法だというのは分かりましたが、具体的にどのような技術なのでしょう。

井口 それは当社のノウハウの部分になりますので、詳しくは申し上げられません。ただ、立教大学経済学部麻雀学科(笑)卒業の私が考案しただけあって、理系の技術者には思い浮かべることすらできない、モノづくりの概念を根底から変えてしまう技術ということはいえると思います。他社に模倣されてしまう可能性も極めて低いのではないでしょうか。また世界中から最も優れた工作機械を集め、生産現場を中心に徹底的なIT技術の活用を進めているのも当社の特徴になっています。

──ブラックボックス化した独自技術に加え、最高の設備とIT重視が強みになっていると。

井口 当社の工作機械はほとんど欧州製です。精度もメンテナンス性も現時点では日本製のものより優れていますから。日本にも世界的に有名な工作機械メーカーは存在しますが、一番重要な部品はほとんどが欧州製の工作機械でつくられているのではないでしょうか。当社が目指す精度の安定した最高品質のものづくりを実現するためには、常に一番良い工作機械を使用する必要があるのです。一方ソフトウエアの面では、人間がやらなければならない仕事と人間がやる必要がない単純作業を細かく分け、その単純作業を極力ITに肩代わりさせるようなオペレーションを徹底しています。たとえば、材質や大きさ、形状を入力することによって板金部品の見積もりが簡単にできるようなソフトを自社開発しました。これは非常に良くできていて、いまでは大日本スクリーン製造に代理店になっていただき「これいくら」という商標で外販しています。

──効率化を極限まで推し進めたわけですね。

井口 当社は売上高54億円ですが、従業員数はわずか20人。製造現場にいたっては5人で回しています。これはできるだけ人間のやる単純作業を機械にまかせるようにした結果です。人間はどうしてもばらつきがありますから、精度の高いものをつくるにはほとんどオートマチックにしたほうがいいに決まっています。もちろん機械を使うノウハウやアイデアの発案、開発の仕事は人間がしなければなりませんが。

社員の7割超が女性

──創業の経緯を教えてください。

井口 それまで経営していた金属プレス加工会社を廃業し、2001年に当社を設立しました。再スタートにあたっては色々な業種を考えたのですが、やはり日本人が世界で生き残る仕事は製造業のほかにないだろうと。わずか3人だけの船出でしたが私が研究を重ねたものづくりの手法にも絶対の自信があったので、必ず成功できると信じていました。

──金型レス、切削レスというものづくりの手法はなかなか理解されなかったのでは。

井口 そうですね。みんな信用してくれなくて、どうしても「ひとまず様子を見よう」となりなかなか仕事に結びつきませんでした。そこで私たちはサンプルを大量に配り、製品の試作を無料で行うことで少しずつこのやり方の素晴らしさをアピールしていったのです。ちなみにこの試作品無料サービスはいまでも継続していて、顧客獲得の有効なツールになっています。お金がかかりますので簡単にできることではありませんが、お客さまが試作を検討するような開発案件は世の中にないまったく新しいものづくりのケースがほとんど。そうした案件について当社内部にそれなりのノウハウが蓄積することは大きなメリットだと考えています。「試作だけして利用されるのでは」と心配されることもあるのですが、いつかは当社に返ってくる、マーケティングの一番効果的な方法だと思っています。

──努力はすぐに実りましたか。

井口 初年度の売上高は給料と材料費を除いたら何も残らない程度の1,600万円にすぎず、質屋でお金を借りて運転資金に充てたりもしましたが、おかげさまで次年度以降は倍々の勢いで伸びました。売上高はいまでも20~25%の割合で拡大しています。

──順調に取引先が増えた理由は。

井口 埼玉県が主催する「渋沢栄一ベンチャードリーム賞」の第1回で奨励賞を受賞したのをはじめ、行政関連で各種の賞をいただいたのも受注増につながったと思います。また新聞などメディア掲載の反響も大きかったですね。当社がここまでこられたのは、私たち自身の努力が1%くらい、残り99%は周囲の方々の助けによるものだと心底思います。お世話になった方々には本当に足を向けて寝られません。そのうち立って寝なければならないでしょう(笑)。

──売り上げの拡大にともなって現在の場所に工場を新設されたわけですね。モダンな雰囲気すらあるきれいな工場です。

井口 現在の場所に移転したのは3年前の2010年です。事業規模も拡大し、次のステップとして新工場を建設しました。製造業は3Kというイメージがどうしても強く、なかなか優秀な学生が入りづらい雰囲気があります。暗い場所には虫も寄り付きませんからね。だから私は、工場らしくない明るい工場、なおかつ音や振動の抑制に配慮しつつ住宅地の真ん中にあっても違和感のない工場にしたかった。つまるところは社員が自慢できるような工場を建てたかった、というところが本音です。まあ本当は女子トイレに一番費用がかっていますが(笑)。

──それは冗談でしょうが、製造業にもかかわらず確かに女性の従業員の方が多いですね。

井口 従業員の男女別構成比は、男性5人、女性15人です。わが社では新卒の採用試験を4次試験まで行っていて倍率は100~200人中1人といった程度ですが、今年採用した5人の男女比も1対4で女性が多かったですね。

──積極的に女性を採用しているのですか。

井口 いいえ。意識的に女性を多く採用しているということはありません。当社はメーン1社、そのほかに2社の計3社の採用会社と契約していて、いろいろな情報からポイントを的確に把握できる概念化の能力、あるいは与えられたミッションを最後まできちんとやり遂げられる「ワークスタンダード」の高さなどを基準に学生の選考を行っています。その採用試験で最終的に残るのがたまたま女性というだけのこと。「採用試験の成績上位者は女性ばかりで、男性に下駄をはかせたうえで内定者の男女比のバランスをとっている」ということを良く聞きますが、当社ではそういうことは一切していません。純粋な能力だけで判断した結果、全従業員に占める女性の割合が7割を超えるまでになったのです。

知的財産戦略を重視

──設備投資の現状を教えてください。

井口 5~10年後を見据え、現在、10億円超を投資して設備増強と生産能力拡大を進めています。当社は世界中から一番進んだ工作機械を探し出してくることを一つのミッションとしていますが、今回の投資でドイツ製の超高精度測定機を導入しました。1,000分の1ミクロンという分解能を持った測定器で、おそらく日本では当社にしかない機械です。私たちの技術の精度の限界は現在2ミクロンですが、今回の投資によりそれを常時実現できる、あるいは1ミクロン以下にまで精度を高めることができると考えています。

──海外展開は視野にありますか。

井口 海外生産はまったく頭にありません。商売の基本は「買いに来たら売れ、売りに来たら買え」です。たとえ海外需要が旺盛でも、私は創業当初から「取引したかったら日本円を持ってここまで来てね」というビジネスモデルを展開してきました。もちろん日本でやるからには付加価値の高さが求められますが、それができるのも圧倒的な低コストと省資源を可能にする当社の製造技術があってこそ。究極的には、銀座四丁目に工場を建てて従業員の年収が1,000万円に達したとしても海外生産より安くものづくりができるような会社が目標ですね。

──ではどんどん国内に工場を増やすと。

井口 それも違います。本当の最終目標は、当社の技術を世界中のものづくりのデファクトスタンダードにする、そしてブラックボックス化したノウハウや技術をもとに世界中でものづくりのフランチャイズ展開をするということです。輸送費などのコストを考えれば、実際に使う場所の近くで生産するのが最も効率がいいことは明白です。であれば当社は作り方だけを提供し、製造は提携する現地の工場が行うというスキームが成り立つと考えるのは自然ではないでしょうか。米国で製造した原液を世界中に配っているコカ・コーラのようなビジネスモデルですね。

──それには知的財産戦略が重要になりますね。

井口 その通りです。特許や意匠、実用新案、著作権などの権利を取得してフルに活用することが重要になりますが、それとは逆に表に出ては困るノウハウなどをいかにして守るかという手立てもきちんと講じなければなりません。先使用権を主張できるような準備を進めたり、企業秘密をきちんと管理する体制を整えたりする必要があるのです。当社ではそうした業務すべてをひっくるめた専門のセクションを設け、知的財産の戦略的な活用を進めています。

──今後の目標は。

井口 うまくいけば5~6年後に売上高を100億円程度にまで拡大させることも十分可能でしょう。そのころにはIPO(株式公開)しているかもしれませんが、私たちのものづくりのスタイルは変えずに日本の産業の最先端を走り続けていたいですね。将来的にはグローバルなフランチャイズ展開に本腰を入れ、世界各地に続々と「井口2世」「井口3世」……が誕生してくれればうれしいと思います。

(インタビュー・構成/本誌・植松啓介)

掲載:『戦略経営者』2013年9月号