東日本大震災への対応
被災企業が笑える日まで自己鍛錬し続ける税理士でありたい
水野税理士事務所 所長 水野貴雄(東北会福島県支部)
水野貴雄会員
取材日:平成23年8月17日(水)
福島県双葉郡で開業していた水野貴雄会員は、東日本大震災に伴う福島第1原子力発電所の事故によって、震災翌日の3月12日から避難生活を余儀なくされた。原発事故の影響で関与先の9割が休廃業する中にありながらも、いわき市で事業を再開し、地域復興のために歩み始めた水野会員と、開業以来29年間巡回監査担当者としても事務所を支えてきたはる子夫人にお話をうかがった。
原発事故の影響で震災翌日から避難
──震災当日を振り返っていただけますか。
水野(貴) 3月11日は電子申告をするためにほとんどの職員が所内にいました。事務所を地震が襲ったのは午後2時46分頃で、倒れそうになる本棚などを所員みんなで必死に支えました。ある女性の職員は腰を抜かして立てなくなってしまうほどの激しい揺れでした。
その晩は、同じ町内にある私の両親のいる実家に家族全員で行きました。よく覚えているのは娘と眺めた夜空です。翌日から起きることは想像もできないような、星がきらめく綺麗な空でした。
──翌12日から、福島第1原子力発電所の事故によって避難を余儀なくされたと伺っておりますが……。
水野(貴) 12日は朝から防災無線などで「集会所へ避難するように」と言われ、集会所に行きました。バスで郡山に避難するとのことでしたが、我々が乗るバスが来ないため一旦自宅に帰り、現金や毛布、少しでしたが身の回りのものを持ってきました。集会所に戻るとバスの手配が足りなかったようで、新たに自衛隊のトラックが数台来ていました。
水野(は) テレビで見たことのあるような深緑色をした幌付きのトラックです。脱出できたのは午後1時半ですが、トラックの中は真っ暗ですし、避難する理由を知らされないままの脱出でしたので本当に不安でした。
水野(貴) そのトラックで郡山の避難所に着きましたが、すぐには中に入れない。原発が水素爆発した時間と我々が脱出した時間が重なっていたため、急遽被曝検査が行われたからです。避難所に入れたのは夜中の12時半を回っていました。
翌13日は、別の避難民が来るためその避難所を朝に出されて、郡山市内の高校の体育館に行きました。その頃はまだ雪がちらつくときで、ブルーシートを敷いただけの床は、夜になると凍り付くような冷たさでした。また頻繁に起こる余震で天井の照明が激しく揺れ、いまにも落ちてきそうだった。とても寝付ける状況ではありませんでした。
水野(は) 朝4時頃に薄い毛布が支給されましたが、早い者勝ちのように何枚も持っていってしまう人も少なくなかったんです。助け合いの精神を感じる一方で、限られた物資を奪いあうようなすさまじい一面もありました。
水野(貴) このまま避難所生活は続けられないと思い、郡山の友人宅に電話して自宅に泊まらせていただきました。その家も地震で壁にヒビが入り、ガムテープで補強しているという大変な状況の中で迎え入れてくれたことに感激しました。
そこに2日間お世話になり、その後知り合いのホテル支配人に連絡して2日間泊めてもらいました。最終的には、避難所や親戚、知人宅などを転々として移動回数は11回におよびました。
──TKC全国会からの支援はいかがでしたか。
水野(貴) TKC会員やTKC、東北の統括、SCGサービスセンターや事務局の方々には本当によくしていただき、感謝しています。また日頃参加している異業種交流会の「双葉志塾」の仲間の支援もありがたかったです。
4千キロかけて関与先に会いに行った
──震災後、関与先さんにはどのような対応をされましたか。
避難しながら関与先の
安否状況等を書き記したノート
水野(貴) 避難している間、毎日のように朝から晩まで電話して安否確認を行いました。残念ながら津波で社長夫妻など6名が亡くなりました。津波災害も5社ありました。
関与先はほとんどが「警戒区域」の会社だったため、安否確認をしながら、休業・廃業・事業継続できる、の3つに分けて1社1社ノートに書き出しました。関与先も全国各地に避難していましたが、3月中に7割くらいの関与先と連絡がとれました。
──TKC東京都心会の豊島邦夫先生の事務所で業務を再開されたそうですね。
水野(貴) 豊島先生の事務所は、昭和56年に職員として勤務させていただいていた事務所でした。豊島先生にお願いし、4月6日から事務所の一部を間借りさせてもらったのです。TKCから無償で借りたサーバーをSCGさんに設定してもらい、仮事務所を開設できました。
ただ福島と距離が離れている東京では関与先とすぐ会えないし、対応も遅くなってしまいます。じっとしていられずに、4月15日から約2週間、レンタカーで関与先に会いに行ったんです。福島だけでなく宮城や千葉、新潟など行けるところ全て。移動距離は4千キロに達しました。
水野(は) 行動力があってとにかく逆境に強い人だと思いました。
──関与先さんとはどのようなお話をされたのですか。
水野(貴) 今後の事業継続や借金について確認し、「借金は継続的に返済するか、一旦停止する」「預金は全て引き出して生活資金に充てる」「事業を継続しないなら社員の失業保険の手続きをする」こと等をアドバイスしました。こんなことを言うのは税理士らしくないかもしれませんが、平常時ではなかったからです。
──直接お会いできて、関与先さんは安心されたのではないですか。
水野(貴) そうなんです。「こんな遠くまでよく来てくれた。水野先生にどこまでもついていく」という社長もいました(笑)。
ただ、昨年設備投資のために多額の借り入れをしたある会社の奥さんは、私の顔を見るなり「先生、もう自殺したい」と泣き崩れました。「こんなことで死んでどうする。補償請求などを手伝うから心配いらない」と声をかけると、ようやくほっとしていました。
このように関与先一軒一軒を回りながら事業継続について確認し、最終的には関与先の9割が休廃業となりました。
事務所収入も前年同月に比べて10分の1になりました。職員を雇えなくなり、妻を除く6名全員を解雇せざるを得ませんでした。業績検討会などで事務所を訪れる関与先からは「会計事務所は暗いイメージがあるけど、ここに来ると元気がもらえるよ」と言われる職員たちでした。
学んでいる経営者だから素直に行動できる
──休業中の関与先さんの事業再開の見通しはいかがですか。
水野(貴) 取引先が地元だけのところは再開は不可能に近いです。直接的な津波の被害とともに、原発事故の影響で事業をたたまざるを得ないわけです。
水野(は) 商売したくても、廃業か休業かの選択になります。果樹園を営んでいた関与先は100年かけて一生懸命作った畑を一瞬にして失いましたし、牛を飼っている畜産農家も辛いものでした。
水野(貴) ただ同時に、飯塚毅全国会初代会長は「常に学び、自己鍛錬している経営者のいる会社は強い」とよくおっしゃっていましたが、この震災においてもそのことをつくづく感じます。学んでいる経営者は「素直さ」と「行動力」をもって事業を再開できているからです。
──水野先生は「自己鍛錬」が大事だという内容のポスター(下)を関与先経営者に向けて作られたそうですね。
「自己鍛錬」の重要性を訴えた関与先向けに作ったポスター
水野(貴) ポスターの内容は飯塚毅初代会長の言葉で作られています。きっかけは昨年のTKC会報11月号でTKCの髙田社長が秋期大学で講演された記事を読んだことで、昨年の経営革新セミナー開催にあわせて作りました。
セミナーでは、このポスターを使って「来年はこれまでと大きく異なる大変な時代になるだろうが、1週2点改善などを着実に実践していけば必ず差が付く」と話し、参加企業を中心に配付しました。1週2点改善は1か月3点改善でもいいんです。そういう気持ちでお互いやろうと話したのです。セミナーで聞いた話を素直に行動できるかどうかがポイントですが、自己鍛錬している人ほど素直に人の話を聞け、行動に移せていると感じます。
またセミナー後は、事務所で職員と一緒にこのポスターの内容を毎日唱和しました。自己鍛錬は事業経営者だけでなく、仕事をする人全てに当てはまり、勝ち残る事務所の要諦になると思ったからです。
余談ですが、これまで飯塚初代会長のお墓参りに5回行きましたが、必ず墓前で『自己探求』などを30分くらい読んでくるんです。初代会長のように頭がよくなれるようにと(笑)。
復興支援に全力を尽くすから悲壮感はない
──これからの業務体制についてのお考えをお聞かせください。
TKC福島県支部の李寿仁会員の協力を得て
8月から福島県いわき市で事業を再開
水野(貴) 5月の連休明けに福島県のいわき駅近くの事務所に移り、8月に入ってからTKC会員の李寿仁先生から場所をお借りして事業を再開しました。いま10件くらいの関与先に巡回監査ができており、今後より重要性が増してくるリスクマネジメントについてよく話しています。
おそらくこれから数年はこれまでの残務整理と、電力会社への賠償・補償問題への対応が中心になると思います。どの関与先も不安を感じているので、弁護士とも相談し、関与先向けにその勉強会をいち早く実施したところです。
水野(は) いまも仮払い補償金請求の書類作成のお手伝いを、ボランティアのつもりでやっています。
水野(貴) よく同業者から「9割も関与先がいなくなったのに、なんでそんなに悲壮感がないの」と言われます。確かに悲壮感はありません。それは被災された企業がこの苦境を乗り越え、一刻も早く復興できるように、自己鍛錬を重ねてサポートしていくのが私の仕事だと思っているからです。補償問題についても関与先の不安を少しでも取り除けるように手助けをしていくつもりです。いずれ、この地域の人みんなが笑える日が来るように。
水野会員と、開業以来事務所を支え続け、
関与先からの信頼も厚いはる子夫人
(TKC出版 清水公一朗)
昭和57年福島県双葉郡大熊町にて開業。61年TKC入会。震災前は職員7人、関与先数約140件。59歳。
水野税理士事務所
住所:福島県いわき市平字愛谷町1‐4‐10 桂ビル2F
電話:0246‐88‐1258
(会報『TKC』平成23年10月号より転載)