中小企業にとって事業承継は喫緊の課題である。特に、スムーズな承継には後継者の育成が欠かせない。本レポートのパート1では後継者育成の一環として、中小企業大学校東京校の経営後継者研修を受講した研修生2名を取材し、その成長のプロセスを追った。続くパート2では、中小企業の事業承継を税制面から後押しする「特例事業承継税制」の概要と活用上の注意点について、TKC会計人の押田吉真税理士が解説する。       

矢作朋子さん

矢作朋子さん

「当社は新たな物事に積極的に挑戦し続けることで、従業員とともに成長していく会社をつくっていきます。具体的には、有機農産物や有機加工食品の生産・販売を強化することで、顧客に選ばれ続ける会社を目指します」

 自然農法販売協同機構で管理業務に従事している矢作朋子さんは、自社の将来をこう描く。農産物の小分け加工や販売、有機農産物の生産を手がける同社の後継者として、凛とした表情でビジョンを語る矢作さんだが、かつて事業承継に対して不安な思いを抱いていたという。

 矢作さんの心境はいかにして変わっていったのか──。

実践を念頭に理論を学ぶ

 大学卒業後、海外留学や青果物の輸入商社勤務を経て、自然農法販売協同機構のグループ会社に入社した矢作さん。結婚を機に退職し、いったんは専業主婦となったものの、グループの経営に携わる父親(関根雄二氏)から承継に関する相談を受けたことで、後継者として社会復帰する決意を固める。しかし、その胸中は決して晴れ晴れとしたものではなく、さまざまな思いが入り乱れていたようだ。

 矢作さんは、当時をこう振り返る。

「10年ほど専業主婦をしていたので、経営者として会社を率いるのはもちろん、うまく社会に戻れるか不安な気持ちでいっぱいでした。しかし父の誘いを無下(むげ)にできず、『自分が後を継ぐんだ』という責任感を持ちながら仕事に復帰しました。このときは、ポジティブな感情とネガティブな感情がせめぎ合っていましたね」

 こうした胸中を整理するべく、矢作さんが取り組んだのは「経営に関する素養を身につける」こと。会社経営に欠かせない知識や心構えを学べば、事業承継に前向きな気持ちで臨めると考えたのだ。

 数ある後継者向けの教育サービスから矢作さんが選んだのは、中小企業大学校東京校の経営後継者研修である。中小企業の後継者が10カ月間、自社の業務から離れ、講義(財務、マーケティング、人的資源管理等)や演習、実習(業務プロセス分析実習、経営総合実習)を通して、会社経営に必要なスキルやマインドを育むことを目的にした研修で、40年以上の歴史と850人超の経営者を輩出してきた実績を兼ね備えている。

 矢作さんは言う。

「この研修を選んだのは『わかる・できる・やってみる』というテーマに魅力を感じたからです。たとえ経営に役立つ知識を学んだとしても、実際の業務に応用できなければ意味がありません。この研修では『わかる』にとどまらず、『できる』『やってみる』と謳(うた)っていることから、実際の経営で活用できる実践知を獲得できると感じました」

 

「中期経営計画」で飛躍へ

関根雄二社長

関根雄二社長

 矢作さんは研修期間を通して、経営に必要な知識や理論を、自社に当てはめながら学んでいった。さらに、関根社長と綿密にコミュニケーションを交わし、自然農法販売協同機構という会社がどのような歴史をたどってきたか、歴代の経営者がどんな思いで経営のバトンをつないできたかについて、理解を深めたという。

「自社を詳しく分析した結果、これまで会社を大きくしてきた経営者たちに対する感謝の気持ちと、私が会社を継ぐことでその恩を返したい、という思いが湧き上がりました。また、研修中の私をサポートしてくれた夫や子どもたちを幸せにするためにも、経営のバトンを父からしっかりと受け継ぎ、自社を発展させていきたいと考えるようになりました」(矢作さん)

 では、矢作さんはいかにして、自社をさらなる成長に導いていくつもりなのだろうか。矢作さんは、成長への道筋と具体的な打ち手を「中期経営計画」に落とし込むことを提案する。

 研修の集大成であるゼミナール論文も中期経営計画をテーマに執筆。矢作さん自身のアクションプランとともに、関根社長に向けて発表した。

「当社ではこの先3年間で、有機野菜や有機加工食品の生産・販売の強化と生産性の向上に取り組み、売上高を前期比プラス3%、経常利益を前期比プラス10%のペースで伸ばしていきたいと考えています。そのための打ち手として、仕入先や販売先の新規開拓、生産性向上を後押しする機械・設備やソフトウエアの導入、組織構造と人事評価制度の改革などの施策を行っていきます。とはいえ、どんなに良い計画を策定しても、実行するのは人ですから、社長はもちろん幹部社員や従業員を巻き込みながら、計画を練り上げていきます」

 矢作さんの力強い思いは関根社長にも伝わったようで、「当社は110年以上の業歴があり、時代の流れに合わせて業態を変えながら成長を遂げてきました。彼女も社会の変化を敏感に察知し、戦略をそのつど軌道修正しながら、会社を成長に導いてくれることでしょう」とエールを送った。

 かくして会社を継ぎ、経営者として会社をリードする覚悟が芽生えた矢作さん。その顔つきは力強く、晴れやかだった。

会社概要
名称 株式会社自然農法販売協同機構
業種 有機農産物の生産・加工・販売
創業 1910年
所在地 東京都大田区東海3-7-4
大田丸ヱ農産ビル4F(本社)
千葉県八街市八街へ199-205(八街物流センター)
売上高 12億円
社員数 80名(パート含む)
URL http://www.shizennoho.co.jp/index.html

掲載:『戦略経営者』2024年9月号