昨今の原材料やエネルギー価格の高騰によって、中小企業経営への圧迫は強まるばかり。価格転嫁は待ったなしの状況を迎えている。各方面に取材して、その解決策を探ってみた。
中小企業の価格転嫁支援に、産・官・金・労が連携して取り組み、高い評価を得ているいわゆる「埼玉モデル」。発注側、受注側双方に直接アプローチするそのプッシュ型の支援には、価格転嫁という中小企業の一大課題を解決に導くヒントが詰まっている。
──埼玉県が価格転嫁対策に取り組んだのは、いつから?
渋谷 2022年9月に産・官・金・労の12団体で「価格転嫁の円滑化に関する協定」を締結したのがスタートです。これは、それぞれの団体が役割に応じて社会実装を行っていくというもので、発注・受注側双方に直接アプローチし、中小企業診断士や金融機関等がプッシュ型で支援していくことが特徴となっています。産・官・金・労が連携して価格転嫁問題に取り組むのは、全国初です。
無料で利用できる2つのツール
──価格交渉の際に役立つツールも注目されています。
渋谷 協定締結の後、23年2月に「価格交渉支援ツール」(『戦略経営者』2024年6月号P8参照)、10月に「収支計画シミュレーター」(『戦略経営者』2024年6月号P9参照)を公開しました。いずれも、どなたでも無料でダウンロードでき、マニュアルもついていて簡易なつくりなので、パソコンが苦手の方でも十分に操作可能です。これも全国初の取り組みです。
──価格交渉支援ツールとは?
渋谷 価格交渉を行うには、エネルギー・原材料費などが上昇していることを示す根拠となる資料が必要です。価格交渉支援ツールを活用すれば、企業間における原材料やサービスの価格推移を自動的にグラフ化できます。業種や品目(807の国産品、357の輸入品など計1,420品目)を選択し、期間を設定するだけでグラフが作成されます。日本銀行や厚生労働省の最新データを使用しているので信頼性も高いと思います。
──収支計画シミュレーターとは?
渋谷 価格転嫁や労務費の増加を踏まえ、今後5年間の中期的な財務シミュレーションが行えます。
価格転嫁をした場合としなかった場合の売上高や経常利益の差が明確にわかるようになっており、業種を選択し、直近年度の財務情報を入力、価格転嫁、労務費など、シミュレーション値を入力すれば、結果が出てきます。このツールを活用して検討すれば、具体的、戦略的な交渉の数値が見えてきます。
プッシュ型の伴走支援
──「プッシュ型」というのも特徴ですね。
渋谷 はい。23年8月に、県内企業4万社に「パートナーシップ構築宣言」(大企業と中小企業の共存共栄を目指す制度)への働き掛けや、さまざまな公的支援制度を内容としたDMを送りました。その後、そのうちの5,000社に対して、中小企業診断士が直接電話し、価格交渉のノウハウ獲得を希望する149社に対して伴走支援を行いました。
ちなみに、パートナーシップ構築宣言に関しては、宣言数上位5都府県(東京都、神奈川県、愛知県、大阪府、埼玉県)のなかでは、埼玉県が11%と宣言率が最も高くなっています。
──伴走支援の内容は?
渋谷 まずは現状をヒアリングし、どの程度の原材料の高騰があるのか、あるいは価格転嫁できないとどうなるかを支援ツールなどで確認します。さらに、価格交渉の仕方を含めてアドバイスをしていきます。
──連携の一角である金融機関はどんな動きを?
渋谷 埼玉県銀行協会の協力を仰いで、埼玉りそな銀行、武蔵野銀行、飯能信用金庫、日本政策金融公庫など16金融機関のスタッフの方々4,289名(3月末現在)に「価格転嫁サポーター」として動いていただいています。金融機関には、埼玉県から、県や国の支援施策をパッケージ化した研修動画や資料集を提供し、研修を受けていただいたサポーターの方々が、担当の企業を支援することで、この施策が長期に自走できる支援体制を構築していく方針です。このような取り組みも埼玉県しか行っていません。
──具体的に、価格転嫁サポーターはどのようなことを?
渋谷「パートナーシップ構築宣言」の紹介や登録サポート、また価格交渉支援ツールや収支計画シミュレーターの紹介や使い方支援、さらには、前述した中小企業診断の伴走型支援へのつなぎを行っています。
──中小企業診断士や金融機関からの支援を受けた企業の反応は?
渋谷 取引先が少ないところはとくに、うかつに価格交渉の話をしただけで「切られてしまう」のではないかという恐怖心が先に立ってしまう場合が多いようです。とはいえ、価格転嫁しなければ、利益が出ない。ジレンマだと思います。
粘り強い交渉ができるか
──そうした中小企業は、どうすればよいのでしょうか。
渋谷 粘り強く取引先に訴えるしかありません。価格交渉支援ツールと収支計画シミュレーターを使って、経営者が将来予測をしっかり把握した上で交渉してみたらうまくいったという例も少なくありません。
──一方で、話に応じないという発注元もあると聞きますが。
渋谷 経済産業省や公正取引委員会も価格転嫁については強く促す姿勢を示していますし、下請けGメンの存在や買いたたきを行う企業の実名公表などの動きもありますから、いまや「話さえ聞かない」といった態度は許されない状況だと思います。
──気運は出てきたと?
渋谷 昨年、下請けに対して納入時の代金を一方的に引き下げた自動車大手が公正取引委員会から勧告を受けたことがありましたが、これが大きかったかもしれません。その意味で埼玉県としても、今後は、国との連携も視野に入れていきたいと考えています。
とはいえ、いまだ道半ばであることは確かです。ある程度の気運は醸成できてきたとは思いますが、アンケートの内容を見ても、すべてが価格転嫁できているとはとても言えません。
──上昇の一途である賃金の価格転嫁は?
渋谷 そこが難しいところで、労務費の転嫁はあまりできていないと考えています。現在の価格交渉支援ツールにも労務費の項目はあるのですが、改良の余地はあります。もう少し広く、さまざまな指標で人件費の上昇をとらえることができればと考えています。
取り組みを全国に横展開する
──価格交渉のコツを教えてください。
渋谷 まずエビデンスを用意します。可能であれば価格交渉支援ツールを使用してみてください。そして依頼文をつくって相手側に投げます。その際に重要なのは、こちらの要望通りにいかない時のことを考えて、あらかじめ落とし所を考えておくことです。そこからは粘り強い交渉です。収支計画シミュレーターを活用して、このままでは自社が立ち行かないことを主張します。
──うまくいった事例は?
渋谷 最近、日本経済新聞に、埼玉県本庄市の洋菓子メーカーの事例が掲載されました。取引先の大手百貨店に対して、価格交渉支援ツールなどを活用して交渉した結果、砂糖など原材料費の高騰分を洋菓子の価格に8割程度転嫁できたといいます。信頼できるデータを目に見える形で示せば、取引先も対応せざるを得なくなるという好事例だと思います。
こういった成果は、徐々にですが出始めています。帝国データバンクによると、埼玉県の中小企業の「価格転嫁率」は、全国平均を2ポイント程度上回っています。今後、2つのツールをより使いやすく改良し、さらに実効性を高めていくと同時に、この「埼玉モデル」を横展開し、全国規模の広がりに持っていきたいですね。
すでに、37道県において、地域連携という形で埼玉モデルが拡大しています。これが進展していけば、加速度的により価格転嫁がしやすい社会になっていくのではないでしょうか。
(インタビュー・構成/本誌・高根文隆)