ヒトは老化・寿命を克服できるか ~老いの意味は「利他性の獲得」~
世界全体で長寿化が進んでいる。1960年時点で約52歳だった全世界の平均寿命は、2021年時点で約71歳まで延伸した。一方で、長寿化の達成は「ヒト」に極端に長い老後をもたらした。一般的にヒト以外の生物の大半は、老化期間が短く、老化とともに死が訪れる。なぜ、ヒトにだけかくも長い老後があるのか。そもそも生物に寿命があるのはなぜか。そしてこの先、ヒトは死・老化を克服することができるのか。東京大学定量生命科学研究所の小林武彦教授に話を伺う。
小林 武彦
東京大学 定量生命科学研究所
附属生命動態研究センター
教授
聞き手/ TKC全国会医業・会計システム研究会 代表幹事 丸山定夫
Takehiko Kobayashi
1987年九州大学理学部生物学科卒業、1992年九州大学大学院医学系研究科博士課程修了、理学博士。1996年アメリカ国立衛生研究所博士研究員などを経て、2006年国立遺伝学研究所教授。2018年より東京大学定量生命科学研究所教授。前日本遺伝学会会長。前生物科学学会連合代表。日本学術会議会員。
「死」なくして生物は存在しない 進化をする上で必要不可欠
──まずは小林教授がご専門とされている研究について教えてください。
小林 広くいえば生物学で、なかでも分子生物学を専門としています。実際に試験管を振って実験を繰り返しながら、遺伝子の働きや細胞の機能などを分子レベルで分析・研究しています。特に老化の仕組みを専門にしており、研究では酵母菌を扱っています。
──生物学の実験と言えば、マウスなどのイメージですが、なぜ酵母菌なのでしょうか。
小林 酵母菌は「人と似ている」のです。というのも、マウスなどは生物界において捕食される存在で、野生では老化しない生物です。しかし、酵母菌は老化するので、研究に適しているのです。
研究を進めていくうちに、「ある遺伝子が壊れると、寿命が長くなることがある」という興味深いことがわかりました。
──普通は、遺伝子が壊れると寿命が縮んだり、病気になったりするイメージがあります。
小林 確かにそういった遺伝子が大半ですが、いくつかの遺伝子は壊れると逆のことが起きます。
普通に考えればその遺伝子はないほうがいいはずです。にもかかわらず、その遺伝子があるということは、「生物には、自らを殺そうとする仕組み」が備わっていることになります。
とすると、長く生きることが生物にとっていいこととは限らず、「死」は必要不可欠であり、重要なものであるといえます。
──では、なぜ生物は死ななければならないのでしょうか。
小林 ひと言でいえば、進化のために必要だったからです。
すべての生き物が死ぬということは、生物が最初に誕生した時点で、死ぬという仕組みが備わっていたのだと思います。
今から38億年ほど前、生物は物質に近い「モノ」でした。そして、生き物のタネとなったのが「RNA」だったと考えられています。これは、情報を持つことができる分子で、4つのブロック「塩基」(G・A・C・U)がつながったひも状の物質です。①自分のコピーを作ることができる「自己複製機能」、②自分で形を変えられる「自己編集機能」、③壊れやすい――という3つの特長があります。このRNAが自己増殖していく過程で、自分たちを分解して変化しながら新しいものを作り、環境にあった遺伝情報を持ったものが生き残ってきました。特に重要だったのが、RNAが壊れやすいということ。分解されたRNAが他のRNAの材料となったのです。
ですから、RNAが「分解=死」しなければ、進化は生じなかった。つまり、生物の長い進化の歴史から考えると、死ぬ者だけが進化できて今ここに存在している。死がなければ、私たち生き物は存在していないのです。死は進化を進める上でなくてはならないものだったといえます。
その後、このRNAが生物の起源となり、やがて体を持つようになって、途方もない時間をかけて、私たちまで進化しました。
──生物の源というと、DNAのイメージでしたが、RNAが最初だったのですね。
小林 確かなことは言えませんが、そう考えるほうが自然です。というのも、DNAそれ自体はタンパク質を作ることができないからです。一方で、RNAはタンパク質を生み出すことができます。
RNAとタンパク質だけの変化しやすい「液滴」と呼ばれる状態の世界が最初にあって、その後に壊れにくいDNAが誕生した。DNAはRNAより壊れにくいので、遺伝情報を保持するリザーバーとしては優秀です。やがて、RNAとタンパク質とDNAが「袋」に包まれることで細胞の起源となったとするのが現在最も有力な仮説です。
生物に老化は不要なもの 進化は数万年単位で生じる
──生物に死は必須とのことでしたが、「老い」についてはいかがでしょうか。老化をまったくしない生物もいるそうですね。
小林 生物にとって老化は基本的には不要です。生物界で老化した生物は、弱った時点で食べられてしまいます。つまり、老化にはメリットがなく、野生で老化する生物は少ない。
「ペットは老化するじゃないか」と思われるかもしれませんが、人工的に飼育される特殊な環境で生きているからです。老化するというよりは「死ににくくなっている」という捉え方のほうが正しい。
ヒトの老化はある種の進化の結果です。そして進化とは、「変化と選択」です。変化は「多様なものができること」、選択は「その環境で生きやすいものが生き残ること」です。ですから、老化という変化が生じても、それが選択されることは普通であれば考えにくい。ですから、ほとんどの生物に老化はありません。
──老化はどのようにして起こるのでしょうか。
小林 すべての生物に共通して見られる現象は、DNAが徐々に劣化し、タンパク質を正しく作れなくなり、細胞の機能が低下した結果、個体の活動が低下し、やがて死にいたります。要するに生物の「設計図」が薄くなるのです。これは、酵母菌でも、ヒトでも仕組みは同一です。
──たとえば、鮭などは産卵した後にすぐに死んでしまいます。これも同じ仕組みなのでしょうか。
小林 基本的には同一だと思いますが、あれだけ急激に起こる仕組みはまだ解明されていません。
鮭の一生で一番元気なときは、川を遡上しているときです。そのときに老化してしまっては、絶対に激流を登りきることができません。そして、産卵を行うと急激に脳の萎縮が始まり、1週間ほどで死んでしまいます。
逆にいえば、産卵を終えるまでは絶対に老化はしません。これは他の生物にも同じことが言えます。子どもを産む・育てるまで元気でいられない生物は絶滅してしまうからです。進化の過程で相当な選択圧がかかったのでしょう。
──先ほど、進化についてのお話がありましたが、どれぐらいのスパンで生じるのでしょうか。
小林 最低でも数千年~数万年かけないと起きないといわれています。遺伝子の変化は少しずつしか起きないからです。
ヒトの遺伝情報は、G・A・T・Cの4つの塩基からなり、それがおよそ30億対あります。そして、親と子の遺伝子には、100個ほどの差があり、それを30万世代分遡ると3,000万個、30億の1%分の違いが生まれます。1世代20年と考えると約600万年前、チンパンジーと人の共通祖先まで遡ることになる。チンパンジーとヒトのゲノムを比べるとその違いは1%です。ピタリと計算が合う。たった1%と思うかもしれませんが、ヒトとバナナでも50%は共通しており、「生きている」だけで、基本的な部分は共通しています。
進化はそれぐらいゆっくり起こるので、私たちが生きているなかで、進化や退化を実感するのはほぼ不可能だと思います。
──進化とは、生物が進化しようとして生じるのでしょうか。
小林 これはそうではありません。たとえば、キリンの首を例にとって考えると、「高い所にある葉っぱを食べようとして首が長くなったのか」「たまたま首が長いキリンがいて、それが生き残ったのか」の2つの説明が考えられると思います。答えは後者で、努力して、何か意思があって、キリンの首が伸びたのではなく、たまたま首が長いものだけが生き残った。進化とはあくまで何万年と積み重なった結果なのです。
──進化とは、生物が進化しようとして生じるのでしょうか。
小林 これはそうではありません。たとえば、キリンの首を例にとって考えると、「高い所にある葉っぱを食べようとして首が長くなったのか」「たまたま首が長いキリンがいて、それが生き残ったのか」の2つの説明が考えられると思います。答えは後者で、努力して、何か意思があって、キリンの首が伸びたのではなく、たまたま首が長いものだけが生き残った。進化とはあくまで何万年と積み重なった結果なのです。
老化はヒトに有利に働いた 老いの意味は利他性の獲得
──老化は生物にとって必要のないものであるにもかかわらず、人間には長い老後があります。これは一体なぜなのでしょうか。
小林 これはヒトという生物にとって、非常に例外的に老化が有利に働いたからだと思います。
ヒトとその他の動物で最も異なるのは、ヒトが社会性の動物だということです。
チンパンジーなどのようにグループで暮らす動物は他にもいますが、それらはあくまで生殖を目的とした集団です。しかし、ヒトはそうではありません。共同して獲物を捕ったり、家を作ったりするなど、集団で暮らすことによって、生き延びる確率を上げてきた社会性を持った生き物です。
その上で、「老い」や「老いた人」がいたほうが集団として競争力があったのだと思います。人類が農耕を開始したのはせいぜい1万年前。それまでは長く狩猟採集生活を続けてきました。そのなかでは、「どこで何が捕れるのか」を知っている経験豊富なシニアが多いことは非常にプラスに働きます。シニアが多い集団は安定的に食料を確保できるので、集団の規模も大きくなり、シニアも増える。そうするとさらに安定して食料を確保できるので、寿命延長の正のスパイラルが生まれます。
──小林教授はご著書のなかでも「シニア」と「老人」という言葉を使い分けられています。先生は「シニア」をどのように定義しているのでしょうか。
小林 自身が得た知識・経験を若い世代に伝え、導いていく、集団のためにプラスになる年老いた人を「シニア」と定義しています。
ただ単に年を取っているということがメリットになったわけではなく、「利他的」であることが大変重要であったのだと思います。
集団としてまとまるためには利他的に行動できる人が必要です。そしてそれを行うのがシニアの役目です。一定数のシニアが利他的に振る舞わなければ、社会はまとまらなくなってしまいます。
自分がまだ元気なときには、「若い世代のために」ということはおそらく考えないでしょう。むしろ利己的でも構わない。しかし次第に年老いていくと「次の世代」のことを考えられるようになる。ですから、老いの意味とは利他性の獲得にあると考えています。
──シニアが利己的に振る舞うとどうなるのでしょうか。
小林 私たちは、シニアが利他的に振る舞うことで社会の役に立つから寿命を延ばしてきました。それと逆のことが起きるかもしれません。シニアがなんの役割も果たさず、利己的に振る舞い、社会のお荷物になるようなら、生物としての寿命は縮んでいくのではないでしょうか。つまりいないほうが有利というわけです。そうすると、利己的な若い人しか存在せず、短期集中の弱肉強食な大変つらい世界になります。
──現在、「人生100年時代」とも言われています。「シニア」が有意義な「老後」を過ごすためのヒントはありますか。
小林 やはり、社会のなかで何かしらの役割を持っていることでしょう。これは動物実験などでも明らかで、社会性を持った生き物を1匹で飼育すると瞬く間に死んでしまう。お互いに頼り頼られる関係が生きる活力になるのです。
老いは克服できる 受け継いだバトンを次の世代に
──現在、少子高齢化もあって、シニアが活躍する機会も多くなり、社会的な役割はこれまで以上に求められています。また、アンチエイジングなども進んでいます。社会・テクノロジーの両面からも「老化」の期間を短くできるのではないでしょうか。
小林 可能だと思います。老化というものは非常に「個人差」があります。90歳で100m全力疾走できる人もいるし、歩行もままならない人もいる。そうした個人差は克服可能です。
たとえば、人の平均寿命は、明治時代の後半から倍近く延びています。今では100歳以上の人も珍しくなくなりました。どんどん元気な方も増えて、今や高齢者=「老人」という時代ではありません。
テクノロジーが進歩すると、活動範囲がより広くなります。たとえば、歩行を助けるような外付け電動膝関節サポーターがあれば、多少筋力が衰えても問題なくなりますし、物忘れがひどくなってきた方には、顔認証付きカメラとディスプレイを備えた眼鏡があれば、人の名前を思い出せないということもなくなります。
──確かにそういったサポート器具があれば、年齢というものはただの数字になりそうですね。
小林 ですから、老化そのものはかなり回避できるものだと考えています。この分でいけば、100歳を超えてもパフォーマンスを落とすことなく、最後まで元気に過ごすということも可能でしょう。
他方、最長寿命は延びないと思います。現在、120歳ぐらいまでが最長寿命とされています。
これは統計遺伝学に基づいた分析ですが、100歳以上の高齢者というのは、しばらく前から増加する一方なのですが、最長寿命だけは変化していません。ということは、120歳にある種の「壁」があり、「ハード」としての限界を迎えるのだと思います。
──現在、iPS細胞などを利用した再生医療が徐々に進み始めています。たとえば、臓器などを人工的に培養して、「部品」を交換しながらということも考えられるのではないでしょうか。
小林 確かにそうしたこともありうるかもしれませんが、脳がネックになります。心臓などの血管系はある種の「消耗品」で、これは当然脳にもあてはまります。この脳を取り換えてしまってはもはや「その人」とはいえません。
また、再生医療自体が始まったばかりで、「部品交換」まで行くのはまだ先になると思います。
──「死なくして生物は存在しない」とのことでした。技術発展で死を克服できるようになっても、克服するべきではないのでしょうか。
小林 確かにそういう考え方もできると思います。一方で、「進化のために死が必要だった」けれども、あくまで「必要だった」というだけで、私たちが「死ななければならない理由」ではありません。ですから、「進化しなくてもいいや」ということになるのであれば、「死の克服」というのはありうる発想だと思います。
──日本では少子高齢化が問題になっています。これを生物学の立場からどのようにご覧になっていますか。
小林 生物学的に、寿命が長い生き物は少子化します。逆に寿命が短い生き物ほど多産です。
ですから、日本だけでなく、先進国などで少子化が進んでいます。基本的に出生率が2.0なければ人口は維持できません。ですから日本などはある意味では「絶滅」に向かっているといえます。もちろんここで考え方は2つです。「絶滅してもいいや」なのか、「これまで受け継いできたものを次の世代にわたす」のか。私としては、後者です。受け継いできたバトンをしっかりと渡したい。そのためには、「環境」を整備することは喫緊の課題だと思います。
──本日は、大変貴重な時間となりました。ありがとうございました。
(2023年11月21日/構成・本誌編集部 伊藤之陽)