フルタイムで働く「商社マン」と「プロボクサー」の二足のわらじを履きながら、WBC世界ライトフライ級チャンピオンに──。そんな“二刀流”の生活を送るなかで身に付けた木村悠氏の効率的な働き方は、多くのビジネスパーソンからの支持を得ている。

プロフィール
きむら・ゆう●1983年11月生まれ。千葉県千葉市出身。2015年11月に32歳で、日本タイトルを返上して世界タイトルマッチにのぞむ。絶対不利の予想の中、王者ペドロ・ゲバラ(メキシコ)を僅差の判定で破り、WBC世界ライトフライ級王者になる。都内の専門商社でフルタイムの正社員として働きながら、帝拳ジムでボクシングのトレーニングを励む“サラリーマンボクサー”として注目を集めた。現在、フリーの立場で講演活動などを精力的にこなしている。(オフィシャルホームページ

──最初はアマチュアボクシングの選手として活躍されていたそうですね。

木村 悠氏

木村 悠氏

木村 本格的にボクシングをはじめたのは習志野高校(千葉県)のときで、インターハイ3位、国体準優勝の成績をおさめました。その後、法政大学(経営学部)に入学してからもアマチュアボクシングを続けました。1年生のときに全日本選手権で優勝し、それがきっかけでオリンピックを目指しましたが途中で挫折。そして大学卒業後にプロに転向しました。

──プロの世界はどうでしたか。

木村 最初はプロの世界をなめていたんですよ。大学生のときに少し練習させてもらったことがあって、「プロといってもそんなに大したことはないな」と思っていたんです。でもそれがまったくの勘違いであったことにすぐに気付かされました。アマチュアは3ラウンドまでしかないのに対し、プロは4~12ラウンドと長丁場。少ないラウンド数でやる分には、アマチュア選手のほうが優位に戦えるところもあったのですが、それを知らずに甘い気持ちで帝拳ジムに入ったところ、みんなものすごく強かった。だんだん自分の実力のなさが見えてきましたね。
 それでもプロデビューしてからの最初の5戦は勝つことができました。ところが6戦目にして敗退。ジムから引退を勧められたりして、心が揺らぎました。でもせっかくプロの世界に入ったからには結果を出したいと考え、もう少し続けることにしました。とはいえ、これまでと同じ環境では絶対にチャンピオンにはなれない。このとき選択したのが、会社員になることだったんです。ふつうなら、よりハードなトレーニングをするとか、違うトレーナーに教えてもらうとかするのでしょうが、私はまったく別の道を選びました。

就いた仕事は「技術営業職」

──なぜそのような選択を……。

木村 たまたまその時期に、大学時代の友人と食事をする機会があったんです。彼らと話しているうちに、大学を卒業してからまだ何年かしかたっていないのに、人間的にすごく成長していた。社会にもまれてレベルが上がっている彼らを見て、自分も社会人として働くことで鍛えられるのではないかと考えたのです。

──それで、サラリーマンとボクサーの「二刀流」の生活がはじまったわけですね。

木村 ええ、植松エンジニアリング(本社:東京都中央区)という、電力・通信関係の工事用部材(通信用架線金具など)を扱う専門商社に正社員として入り、フルタイムで働くようになりました。
 担当したのは、「技術営業職」と呼ばれる仕事で、新規営業よりもルート営業にちかいものでした。部材の仕入れ先である「工場」と、それを販売する「得意先」とのあいだに入って、納期の調整など、さまざまなコーディネートをする仕事です。

──専門的な知識が必要だったのでは?

木村 最初は、図面も読めなかったので大変でした。得意先からの図面をもとに、工場に製作を依頼するのですが、その図面が間違っていることも結構あって、こちらで書き直したり、得意先に修正をお願いしなければならないときもありました。いずれにせよ私自身が図面を読めなければ話にならないのです。

──その当時の1日のスケジュールを教えてください。

木村 6時半に起床し、朝練習をしてから朝食をとって出勤。午前中は社内での打ち合わせやデスクワークなどの内勤業務をこなし、午後からは外回り(得意先への営業、工場視察など)に出ていました。そして17時半に仕事を終え、18時から20時半までジムで練習。その後、21時に帰宅して、22時半には寝ていました。
 最も気を付けていたのは、最低でも8時間の睡眠を確保すること。6時半に起きて朝練習をすることは決まっていたので、そこから考えると22時半までに就寝する必要がある。そんなふうにして1日のスケジュールを決めていました。

──つまり、「逆算」して予定を組むと……。

木村 はい。積み上げ方式ではなく、ゴールから逆算していく方法をとっていました。日中の仕事についても、17時半までに退社するというゴールを設定して、その時間までにやるべきことを片付けるためには何をすればいいか、と逆算で考えていましたね。

──長年、「残業をするのが当たり前」という感覚で働いてきた人のなかには、定時までに仕事を片付けることを苦手としている人もいます。木村さんの場合、どのようにして17時半までに仕事を終わらせていたのですか。

木村 まずは、その日やるべきことを明確にします。そのうえで、どの時間に何をするかを頭のなかでしっかりスケジューリングしていくことが大事になります。私の場合、翌日に会社でやるべきことをToDoリストにするとともに、それをどの時間帯にこなしていくかのスケジュールを、前日の退社する30分前に考えていました。
 ちなみに、その日のトレーニング内容も同じような感じで決めていました。会社の昼休み中に、例えばその日は3分1ラウンドの練習を20ラウンドやるとしたら、最初にこういうトレーニングを3ラウンドやって、つぎはこういうトレーニングを3ラウンドやる……といった具合に、練習メニューをあらかじめ決めておくのです。何かをしながら次にやるべきことを考えたりすると、集中力を欠いてしまうため、先に決めておくことが大切です。

──なるほど。ただ漫然と目の前の仕事をこなしているだけではダメなのですね。ところで仕事上のスケジュール管理には、手帳などを使っていたのですか。

木村 いえ、スケジュールは「グーグルカレンダー」、ToDoリストは「グーグルToDoリスト」といったように、すべてクラウド上で管理していました。
 こうしたクラウドサービスの活用はスケジュール管理だけに限った話ではなく、得意先からもらった工事発注書や図面、見積書などについてもスキャンして「ドロップボックス」に入れておくようにしていました。要は、クラウドに情報を集結させて、外出先からでもスマホやパソコンで仕事に必要な情報にいつでもアクセスできるようにしていたんです。こうすれば、たとえ得意先から緊急な仕事の依頼や、問い合わせが入ったとしてもその場で対応できます。毎日17時半にあがっていても、滞りなく仕事を回せていたのは、こうした工夫があったからです。

〝二刀流〟だから勝てた

──素晴らしいですね。そうやってボクシングと仕事の両立をしている木村さんのことを、会社のみなさんはどう見ていたのでしょう。

木村 最初はなかなか賛同が得られなかったのですが、時間が経つにつれて「こいつはちゃんと仕事しているんだな」と、しだいに認めてくれるようになりました。2年ぶりに試合が決まったときも、「お前がそれだけ頑張っているんだったら」と、応援に来てくれました。

──ありがたいですね。

木村 ええ、本当に。私が活躍するにつれてメディアの取材も増えたことから、結果的に会社の知名度があがったり、得意先の担当者も私が試合に勝ったお祝いに仕事を発注してくれたりと、副次的な効果も意外とたくさんありました。これは私としてもうれしかったですね。

──そうやって試合をこなしていくうちに、日本チャンピオンになり、さらにはその後世界チャンピオンのベルトを手にすることになります。

木村 ボクシングで世界チャンピオンになれたのは、仕事での経験が生きたからだと本気で思っています。たぶん仕事をしていなかったら、あれだけの結果は残せなかったはずです。ボクシングは精神性の強い競技。性格や人間性そのものが、勝敗に大きく影響します。社会人として働くなかで自分が鍛えられたからこそ、勝利をものにすることができたのでしょう。

──社会人として働くことで、「頭の使い方」みたいなところも変わったのでは?

木村 そうですね。逆算してスケジュールを立てて、それを実行していくという思考方法は仕事から学んだものです。納期を管理する仕事だったので、いかに効率的に商品を納めるかが重要だったということもあるでしょう。それと、逆算の思考法は「減量」に相通じるものがあるんです。ご存じの通り、ボクシングには減量が付きもので、試合前までに規定の体重以下に減らさなければなりません。このプロセスに会社でのスケジュール管理の手法を応用していったところ、減量に苦労することがなくなり、いいパフォーマンスを試合で発揮できるようになりました。

──試合前までに何キロくらい体重を落とす必要があったのですか。

木村 7~8キロほどです。それを1カ月半くらいのスパンで落としていました。そのためにはどうすればいいかを逆算し、1週間前の体重→2週間前の体重→3週間前の体重を決めて、スケジュールを組むわけです。もちろん、何かイレギュラーなことがあって、必ずしも予定通りに進まないこともあります。でもそんなことは仕事ではしょっちゅうなので、あせることはありませんでした。「セルフマネジメント」のスキルが以前に比べて格段に進歩したのは確かですね。

「副業」も悪くはない

──現在、二刀流の生活をしているアスリートもいると思いますが、そうした選手に何かアドバイスを送るとしたら……。

木村 たぶん二刀流をしている選手の多くは、「仕事」と「スポーツ」を区別しているのではないでしょうか。あるいは、副業をしている会社員の方も「本業」と「副業」とを分けて考えている。でも私の場合は、仕事もボクシングもトータルで一つのものだと見ていました。だから「ボクシングで得たもののなかで仕事に生かせるものは何か」とか「仕事で学んだことをどうやってボクシングに生かしていけるか」を自然に意識し、二つの相乗効果(シナジー効果)を得ることができたのだと思います。
 いま「働き方改革」が叫ばれる中で、副業を認めるかどうか迷っている会社もあるかと思います。経営者のなかには「社員に副業を認めると、うちの仕事が中途半端になるのでは」と危惧している方もいるかもしれませんが、私の感覚ではもう一つ別の仕事をやることで、そこで得た人脈や経験が本業にフィードバックされて、本業によい影響をもたらすという面もあるような気がします。

──木村さんは世界タイトルを獲得した後、惜しくも防衛戦に敗れ、ボクシングの世界から引退しました。今後どんな活動に取り組んでいくつもりですか。

木村 ボクシングの発展に寄与するような活動を進めていきたいと考えています。フリーの立場で企業向けの講演や研修、メディア出演などを精力的にこなしているのは、その一環です。それと、チケット収入が生活の糧となるボクサーを支援できるような新たな仕組みを構築する活動も進めていきたいですね。SNSをうまく使ってボクシングファンを増やしたり、ITを使ってもっと効率よくチケット販売ができる仕組みを作れれば、ボクシングの世界がもっと変わっていくと思います。

──今日、木村さんとお話させていただき、実にクレバーな方だと感じました。

木村 私は、おくびょうなところがあるんです。現役時代も、いかに相手からパンチをもらわずに勝つかを考えてボクシングをしてきました。そうした頭を使うボクシングスタイルが関係しているのかもしれません(笑)。

(インタビュー・構成/本誌・吉田茂司)

掲載:『戦略経営者』2018年5月号