アパレル業界における中小企業受難の時代が叫ばれて久しい。大手メーカーの生産拠点の海外移転は、もはや常識。そんななか、救世主となり得るビジネスモデルをひっさげて登場してきたのがSITATERU(シタテル)だ。テレビ番組などさまざまなメディアに登場し、2016年8月には雑誌『AERA』で「日本を動かすベンチャー100」に選出された。アパレルブランドやデザイナーと中小・零細縫製工場を結びつけるベンチャーを率いる河野秀和社長にインタビューした。

プロフィール
かわの・ひでかず●1975年生まれ。メーカー・外資系金融機関での勤務を経て、2009年に経営支援事業で独立。その後、総合リスクマネジメントサービスやシタテルの前身となる既存の服をカスタマイズする会社を設立し、そこからビジネスの発想を広げ、2014年3月にシタテルを設立。

──2014年に熊本で創業以来、すごい勢いで流通額を伸ばしておられるようですね。

河野 ユーザー(会員登録数)は、現在まで約2900事業者に上っています。それに対して提携する縫製工場170と2次加工業者が別途70で、あわせて240拠点。一口に240拠点といってもそれぞれにできること、できないことがある。それを正確に把握・データベース化し、ユーザーのニーズに迅速かつ的確に応えるようにしているのですが、そこが他社にはなかなかまねのできない当社の強みでもあります。

圧倒的に速いリードタイム

──IT技術を存分に活用しているところも特徴です。

河野秀和 氏

河野秀和 氏

河野 工場によっては縫製レベル、対応可能製品、料金、リードタイムなどに差異がありますから、最適なマッチングを行うにはそれらをデータベース化する必要がありました。そしてチャットシステムを持つ「マイ・アトリエ」という会員サイトを通じて、お互いの交渉がスタートし、そのデータベースのアルゴリズムから説き起こして需給の落としどころを探っていくのです。

──それにしても、一からこれだけのネットワークをつくられるのは大変だったのでは?

河野 最初はたった6工場でスタートしました。最盛期には1.5万軒近くあった国内の縫製工場は現在5000軒と激減していますから、見つけるのも大変です。一軒一軒、山奥まで訪ね歩きました。似たようなものばかりがはやる世の中で、オリジナル製品をつくりたいという欲求は必ずあります。しかし、デザイナーやアパレルブランドには対応してくれる工場を見つけられないんですね。そこで、高品質かつ少量多品種でも柔軟に対応できるような体制を整え、インターネットでサイトをひらいたら狙い通り全国のファッションブランド、通販事業者などからオーダーが来た。これはイノベーションを起こせるのではないかと……。

──最大の特徴は?

河野 リードタイムが圧倒的に早いことでしょうか。アパレル産業の特色として春夏に秋冬もののデザインを提案しますから、通常、パターン作り、サンプル作り、量産と、世に出るまで6カ月かけます。われわれは、そんな悠長なことを言ってられない人たちのために、2カ月前後で納めていく。しかも30着から受け付けています。

──2カ月どころか数週間で量産にまで持っていったことがあるそうですね。

河野 海外で有名なあるブランドが、予定していた輸出製品が工場の都合で急に作れなくなったことがありました。パターンもない企画段階です。生地がありましたがほかの資材はありません。そこで、われわれに相談があったのです。そのとき、従業員が「無理ですよね」とつぶやきました。その言葉にかちんときて、ならやってみようじゃないかと。工場に確認をとり、企画書データを送ってもらい、パターンを起こしました。そして当日中に工場にデータを飛ばして、翌日に生地を発送。3日後くらいにサンプルをクライアントに送ることができたのです。さらに要求されたパターンの修正もすばやく行い、量産のスタンバイを整えました。相談を受けてから1週間。「意地でもやってやろう」という感じでしたね。そうしたら、そのユーザーさんが感動されましてね。それがきっかけで、東京オリンピック関連の依頼案件につながりました。東京都の職員や案内スタッフが着るコートやシャツ関連を手がけることができたのです。

誰もやってないことをやる

──河野社長はそもそも外資系生保会社におつとめだったとか。

河野 9年間つとめましたが、最後は営業課長でした。そこからリスクマネジメントを行う経営支援として独立し、弁護士や会計士、行政書士、社労士など士業ネットワークをつくって、熊本の地場の企業を守っていこうという活動を行っていました。いまでいうクラウドソーシングですね。士業の情報を共有化して、ひとつのデータベースをつくる目的でした。

──それがなぜアパレル業に?

河野 熊本は地方としてはファッションについて従来から先進的な地域でした。ビームスもポールスミスも日本で最初の地方拠点は熊本です。アメカジの古着を最初に持ってきた人たちなどもいて、カルチャーとして成熟していたんです。なので熊本にアンテナショップを設け、リサーチするファッションブランドが多かったようです。
 当然、私もそういう店とつきあいができてきます。通常、商社が登録ブランドを持っていて、これを中小・零細工場に発注してくる。ある日、わずか20着のジーンズをつくれないかという相談を受けました。で、地元のデニム工場に「20着つくってください」と言ってみたのです。すると閑散期なので空いていて、普通にできた。そこには生地もボタンもあったのですぐにできましたが、シャツとかジャケットはそうはいきません。資材とか生地が必要になります。そこで、流通と工場を放射線状につなぐことで、業界全体がリファインし、最適化すると気づいたのです。

──それがいまのビジネスモデルの原点だと。

河野 そう。ニーズがあるという仮説が、信憑性を帯びてきたわけですね。そこから、本気になって服飾関係の小売り店や街のセレクトショップに営業をかけていきました。

──一気呵成(かせい)という感じです。

河野 とにかく思いのほかニーズがあったんですよ。われわれのようなことをやっているところはどこにもありませんでしたから。いま、当社の需要層は、割合的に街の小売店からファッションブランドへと変わってきています。百貨店や大手ブランド・メーカーもそうだし、あるいはニューヨークのブランドや中国の富裕層向けメーカーなど海外からの引き合いも少なくありません。「自社工場を持っているしパターンもあるが、この部分だけはシタテルでやってくれ」というような要望も増えてきましたね。理由はクイックネスとコストパフォーマンスでしょう。要所要所で使っていただいているといった感じです。

少量かつ差別化のニーズ

──熊本地震の時はどう対応されたのですか。

河野 案の定、工場が止まりました。まず、従業員と家族の安否確認。1回目は揺れは大丈夫だったのですが、2回目が起きて、工場が一部損壊。裁断機などの機械がダメになった。とにかく建物の被害の確認と従業員の安否に最善をつくしました。それから水などのライフラインも止まりましたから、その手当てにも奔走。ビジネス面では、熊本の工場に入ってきていた依頼は当然中止になると思いきや、クラウドソーシングビジネスの強いところで、われわれが働きかけたところ「代わりにやってあげよう」という他県の工場が多数名乗りを上げてくれました。パリコレに参加する世界的な国際的なブランドなど、この一連の動きに協力してくれました。安定供給という意味でも、当社のビジネスは非常に強みを持っているといえます。

──ところで熊本の本拠があるということでの採用面での苦労は?

河野 いまはインターネットで世界中がつながる時代なので、働く場所や住む場所は関係ないという若者もたくさんいます。そうした人がソーシャルリクルーティングを通じて応募してきます。東京に支社もありますから、そっちで面接もできます。皆さん優秀ですよ。私としては故郷である熊本にこだわりたいので、非常にありがたい世の中だと思っています。

──アパレル業界全体の業況はいかがでしょう。

河野 マーケット自体でいえば、アパレルファッションブランドは苦戦しています。ところが、消費量はアパレルのシュリンクする数値ほどは落ちていない。9兆円マーケットを維持しています。現在のプレーヤーたちの売り上げ規模は下がっていくかもしれませんが、ファッション分野以外からの参入組が増えると思います。企業であれ個人であれね。
 当社ではいま、企業の制服ユニフォームつくる機会が増えています。「なんでうちに?」という感じですが、たとえばある大手飲食企業さまの福岡本部もそう。地元でつくってほしいと言う依頼。つまり地域の生地、地域の工場、地域のデザインで創ってほしいというニーズです。そこで当社では、久留米絣(がすり)を使用し、地元らしいデザインで百数十着つくらせていただきました。そうしたら不思議なことに、ここのエリアだけ採用率が上がり、離職率が下がったといいます。

──まさに少量かつ差別化のニーズですね。

河野 今後はより顧客のニーズを先取りしながら、こちらから提案していける案件を増やしていきたいですね。平成27年度に中小企業基盤整備機構の支援を受けて、経済産業省の「新連携事業計画」に認定、28年度には「IoT推進のための社会推進事業」(スマート工場実証事業)の補助事業者に採択され、日々、顧客により高い付加価値を提供する努力を続けています。たとえば、センサーなどによって工場の稼働率を可視化できるシステムも近々稼働する予定です。ともあれ、高い技術を持つ中小の縫製・加工工場をもり立てながら業界にさらなるイノベーションを起こせたらと考えています。

(取材協力・中小企業基盤整備機構/本誌・高根文隆)

掲載:『戦略経営者』2017年3月号