M&Aによる事業承継が珍しくなくなってきた。統計ではすでに4割を第三者承継が占めることが明らかになっている。中小企業の成功事例や交渉の実態についてレポートする。

第三者承継という選択肢

「成功」のきっかけは古田悦雄バロ電機工業社長(当時)の〝小さな勇気〟だった。同社は、電気設備などの制御装置を製造する老舗メーカーだが親族内にも従業員にも後継者がいなかった。とはいえ、ここまでついてきてくれた11名の従業員を路頭に迷わせることはできない。リーマンショックの際にも解雇をしなかったほどの「情に厚い」経営者。御年70歳。会社自体は堅調なのに、後継者不在という一点の瑕疵(かし)だけで廃業を余儀なくされなければならない現実に悩まされ続けた。

 どうすればよいのか。どこに相談すれば解決に近づけるのか。まるっきりわからないまま、時は過ぎた。とはいえ、地場の中小メーカーにとって金融機関や民間のコンサルタントはいかにも敷居が高い。そんなときにたまたま古田さんの目にとまったのが、「事業引継ぎ相談窓口開設」という広島商工会議所発行のチラシ。2012年の暮れのことである。

 当時、国は、後継者難に悩む全国の中小企業に、第三者承継を含めた事業引継ぎを仲介する事業をスタートしようとしていた。つまり、現在の「事業引継ぎ支援センター」展開のための助走期間に入っていたのだ。広島県はその先駆的な地域であり、すでに中小企業診断士・M&Aシニアエキスパートの平野勝正さんが、広島商工会議所内に設置された相談窓口の責任者として招集されていた。

「雇用だけは維持してほしい」

 古田さんは勇を鼓してその窓口のある平和記念公園近くの広島商工会議所に足を運んだ。平野さんの古田さんに対する第一印象は「とにかくおとなしい人」。朴訥(ぼくとつ)で誠実そうな話しぶりに、好印象を受けたという。

 さらに話を聞くうちに、バロ電機工業の堅実な経営状況と、安定した取引先が垣間見えてきた。社長の実直な性格がそのまま会社にのりうつったような経営内容。就任してほぼはじめて手がける案件であったにもかかわらず、平野さんは「これはいけるのでは……」と希望をもった。

「なにしろ古田社長の提示した条件が、〝11名の従業員を継続雇用してほしい〟という一点だけなのには驚きました。極端に言えば、売却金額はいくらでもいいといった感じでしたね」

 もちろん非常に珍しいケースである。40年以上も自らが手塩にかけてきた会社を売りに出そうという時に「金額はどうでもいいから雇用だけは維持してくれ」とは……。会社の財務状況が劣悪ならばまだ分かるが、バロ電機工業は堅実経営を続けており、後からわかったことだが、内部留保もかなり充実していたという。ようするに、マッチングのための最初のハードルは、実はすでに超えていたのである。

 しかし、株式会社である限り、第三者承継に踏み込むには株式譲渡、M&Aしかない。となれば、前途にはさまざまな法律的な制約や契約の煩雑さが横たわる。もちろんそこには専門的なノウハウが必要になってくる。

 平野さんは、民間の金融機関、コンサルタントなど、複数の登録コーディネーターを提示する。それぞれに長所短所はあるが、古田さんは熟考の末、広島銀行を選択した。

 広島銀行といえば、1996年というきわめて早い時期にM&A専担者を本部に置き、リレーションシップバンキングにも熱心に取り組んできた銀行として著名である。現在は5名の専担者を抱え、入り口から出口、つまり譲渡希望者の相手探し、交渉仲介、成約、アフターケアまでワンストップでM&A案件を手がけている。

「売り手の気持ちを尊重する」

 さっそく広島銀行の法人営業部金融サービス室の担当者が、古田さんと面談。平野さんの語った古田さんの第一印象と同じく「誠実な話しぶり」に感銘を受けたという。元来が口べたな古田さん。しかし、「仕事と従業員を大切にしたいが、高齢のせいで従業員を守ることができない、それがくやしい、という気持ちがダイレクトに伝わってきた」とその担当者は述懐する。

 銀行マンも人間である。正直で誠実な相手の困っている姿を見れば、「力になりたい」とモチベーションも一段と上がる。紹介を受けた時に平野さんから聞いた通り、バロ電機工業の財務状況は、ここ数年、わずかな赤字を出してはいるものの、ベースとなるバランスシートは健全だった。取引は地元の大手自動車メーカーの1次下請け先が主で、安定している。広島銀行のM&A専担チームは、年が変わると、定性面に関するヒアリングを重ねた上で、シナジー効果を見込める譲渡先探しをスタートした。

 譲渡先探しにあたって「売り手の気持ちを最大限尊重する」のが広島銀行のやり方。古田さんは当初、「自分の会社はたいしたことないので、地元の企業では無理。県外の企業に広島進出の足がかりにしてもらえれば」と考えていた。その意向に沿った形で、広銀も県外企業や県内の大手企業を中心にリストアップして順次アプローチをしてみるが、どうもうまくいかない。とはいえ、広銀側に焦りはなかった。M&Aの相手先探しはそう簡単ではなく、1年以上の期間が費されることなどざら。お互いの納得が重要であり、拙速なマッチングはむしろ後々トラブルの温床ともなりかねない。

 そんなとき、俎上(そじよう)に上ったのが広銀と濃密な取引があった東洋電装だった。同社は、ここ数年、高速道路関連の通信制御装置の大量受注で飛ぶ鳥を落とす勢い。なかでも自社ブランド製品(路側情報伝送装置『ERICE』)の販売が好調で、飛躍の途上にあった。同じ制御盤メーカーであり、しかも場所も非常に近い(広島市安佐南区)。また、東洋電装の桑原弘明社長の父親(先代)が、バロ電機工業・古田社長と同年代であり、過去に土地を買い求めた際に、近隣にあったバロ電機工業自体も知っていたという。

 一気に距離が縮まった。桑原社長はいう。

「ちょうど私が経営を父親から受け継いだタイミングでした。まずは父といっしょにうかがって古田社長と話したことを覚えています。バロ電機工業さんは地元の民間企業が取引先。われわれは公共事業が主でしたから、補完し合えてちょうどいいかなというくらいの印象はありましたが、そのときはとくに高いシナジー効果が見込めるとは思っていませんでした。それよりも古田社長の人柄、雇用を守りたいという思いを強く感じましたね。譲渡が終わるまで古田さんからの金銭的な提案はまったくありませんでした。その意味でも、気持ちよく、いい条件で譲渡していただけたと考えています」

 さて、そうはいってもこの案件、M&Aには違いない。仲介した広銀の担当者は、初回の面談からなんと50回以上、両社に足繁く通い続けたという。後々トラブルとなる可能性のある論点を極力排除していき、株式譲渡契約にこぎつけるためだ。せっかくのいい話も、わずかの穴から水がもれることで、一気にだめになることを知り尽くした専門家ならではの気づかい。当事者である両社の社長も、「広島銀行さんのようなコーディネーターがいないとM&Aは成功しなかった」と口をそろえる。

 その後、古田さんは、譲渡が成立した2015年4月に会長にいったん就任し、仕事の引き継ぎを行った上、その年の12月で退任。バロ電機工業という社名は、「変える理由がない」(桑原社長)とそのまま残した。

 もちろん、桑原社長は約束通り雇用を守った。そしてしばらくすると、バロ電機工業の技術にあらためて高い可能性を感じるようになる。

「東洋電装の得意なのは情報・通信の分野です。一方、バロ電機工業には、工場のラインそのものを製造・メンテナンスする技術が蓄積されていたのです。いまでは、新しい市場への足がかりになり得ると強く感じています」

「良いイメージしかない」

 その意気込みを示すように、桑原社長は15年6月に、右腕である専務をバロ電機工業の社長として送り込む。そして、自社の空調システム事業を、同社に移した。もともとが地元密着型企業だったバロ電機工業。同事業の移動は、グループとしての効率化を目指したものである。その効果もあって、現在、バロ電機工業は従業員が2人増え、売り上げも3割増し。まずは好調なスタートを切ったといえるだろう。

 平野さんは言う。

「この案件は大成功といえるのではないでしょうか。一番は譲渡した側の古田さんが大変よろこばれたこと。もちろん従業員も胸をなで下ろされたことでしょう。そして桑原社長にも思いのほか大きなメリットがあった。そして仲介者である広島銀行は、雇用維持による地域貢献という認定支援機関としての役割を果たせる、まさに〝三方良し〟。第三者承継を啓蒙するにはうってつけのケーススタディーだと思います」

 東洋電装にとってもはじめてのM&A。まったく不安がなかったわけではない。しかし、広島銀行の丁寧なコーディネートとバロ電機工業の古田さんの真摯(しんし)な姿勢に、桑原社長は「もっと大変だと思っていた。今回は良いイメージしかありません。今後はM&Aを成長戦略の手段として考えていきたい」と一変する。

 東洋電装は高速道路関連、制御盤と2本の事業の柱があるが、各事業で取引先も技術も違う。

「将来的にはこれらを分社化し、M&Aを使ってそれぞれの会社を成長させるプランも視野に入れています」(桑原社長)

 こうみてくると、中小企業の後継者難は逆にチャンスだともいえる。第三者承継を選択肢に加えるだけで、事業のネットワークが広がり、ポテンシャルが拡大、ウィンウィンの関係性が構築できるかもしれないのだ。もちろんそれは、従業員にとっても、地域経済にとってもプラスとなる。

(取材協力・中小企業基盤整備機構/本誌・高根文隆)

会社概要
名称 バロ電機工業株式会社
所在地 広島市安佐南区伴中央7-8-1
URL http://valo-e.com/
会社概要
名称 東洋電装株式会社
所在地 広島県広島市安佐南区緑井4-22-25
URL http://www.t-denso.com/

掲載:『戦略経営者』2016年10月号